長江文明の特徴とは? わかりやすく解説

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長江文明の特徴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 04:35 UTC 版)

長江文明」の記事における「長江文明の特徴」の解説

初期段階より稲作中心であり、畑作中心黄河文明との違いからどちらの農耕も独自の経緯発展したものと見られる長江文明発見から稲(ジャポニカ米)の原産長江中流域とほぼ確定され稲作発祥もここと見られる日本の稲作もここが源流と見られる中流域屈家嶺文化(くつかれいぶんか、紀元前3000年? - 紀元前2500年?)・下流域良渚文化りょうしょぶんか、紀元前3300年? - 紀元前2200年?)の時代最盛期として、後は衰退し中流域では黄河流域二里頭文化移植されている。黄河流域人々により征服され結果とも考えられている。 河姆渡遺跡からは玉で作られ玉器漆器などが発見されており、また呉城文化紀元前1400年? - 紀元前1000年?)からは磁器発見されている。中国文化重要な一翼を担うこれらの文物源流ここから出たではないかとする説もある。 これらが後の呉・越繋がった考えられるが、どのような流れたどって繋がるのかは未だ解らない本格的な発掘始まってから30年程度しか経っておらず、発見されたものの量に対して研究追いいていないのが現状である。 四川盆地では長らく文明発見無かったが、1986年四川省広漢市三星堆遺跡さんせいたいいせき)から大量青銅器などが見つかり、一気注目されるようになった四川地形的に他の地域途絶しており、そこで発見され文明黄河長江とも異質な文明発展させていた。そこで四川文明分類されることもある。 三星堆の特徴として怪異な面が多数発掘されることがあり、青銅の人像の顔に被せられ黄金面も発掘された。古代にあったとされる蜀の国だと考えられる。この蜀国は『史記』ではほとんど登場せず、まだ中華文明視野の外の地域であった唯一、秦の恵文王紀元前316年司馬錯によって滅ぼされて、秦の版図入ったことが記される。 なお、蜀地域地域史書である『華陽国志』ではこの古代蜀についての詳しい記述があったが、黄河文明中心史観時代にあってはこれらの文献想像産物だと思われていた。しかし、三星堆遺跡発見一躍現実味帯びたものとなった2004年現在長江文明四川文明とも体系化された文字は見つかっていない。ただし、文字様の記号は見つかっており、その年代紀元前2000年から紀元前600年とされている。現在出土している最古甲骨文字紀元前1300年くらい(武丁期)のものなので、これが文字だとすれば甲骨文字先んじた文字ということになる。

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