長崎医科大学とは? わかりやすく解説

長崎医科大学 (旧制)

(長崎医科大学 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/24 14:21 UTC 版)

旧制長崎医科大学(きゅうせいながさきいかだいがく)は、1923年大正12年)4月、長崎市に設立された旧制官立大学。略称は「長崎医大」。


  1. ^ 「こしま」と読む。
  2. ^ 長崎市立長崎商業高等学校の前身
  3. ^ 現在6月18日は長崎大学薬学部の創立記念日となっている。
  4. ^ 1913年(大正2年)4月の改則により2年に延長。1915年(大正4年)6月、内務省認可を得る。
  5. ^ 長崎大学発足の際、附置研究所となり、熱帯医学研究所(1967年(昭和42年)6月設置)の前身となった。
  6. ^ 『官報』第5696号、昭和21年1月11日。
  7. ^ 小路敏彦 『長崎医科大学壊滅の日』 中央公論事業出版、1995年、pp.49-50、77-80。
  8. ^ 大村海軍病院の非情、原爆重症患者退院させる(昭和20年10月30日 毎日新聞(東京)『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p652 毎日コミュニケーションズ刊 1994年



長崎医科大学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:31 UTC 版)

永井隆 (医学博士)」の記事における「長崎医科大学」の解説

1928年昭和3年3月松江高校優等卒業し、長崎医科大学(現・長崎大学医学部)に入学大学入学までスポーツの苦手な優等生であったが、身長171センチ体重70キロ当時としては大柄な体格であったことから長崎医大篭球部に誘われメモ書き怠らない熱心さで、明治神宮行なわれ全国大会3等西日本選手権制覇などに貢献。この部活動上海杭州にも遠征している。また、同大学のアララギ支社入って歌会にも参加した高校以来唯物論者であったが、母が1931年昭和6年3月29日脳溢血急逝したのを機に霊魂があると信じるようになるその後パスカルの『パンセ』を愛読しカトリック惹きつけられていった浦上天主堂近くで牛の売買営んでいたカトリック森山家下宿し、後に妻となる一人娘の緑(洗礼名マリア)に出会った森山家先祖隠れキリシタン信者指導し教会暦伝承する帳方であった1932年昭和7年5月大学卒業式総代として答辞を読むことになっていたが、卒業式5日前のクラス会帰り濡れてそのまま寝たために急性中耳炎にかかり、命を落とす障害者になるかという重症陥ったこの間カトリック信者老婆世話をしたが、永井うわごとで「天主御母マリア、われらのために祈りたまえ」というのを聞いて「きっと信者になる」と思ったという。 2ヶ月後にようやく健康を取り戻したが、右耳が不自由になったため、当初志望していた内科諦めて物理的療法科(レントゲン科)に入り放射線医学専攻することとなった1932年昭和7年11月8日助教授就任した末次逸馬の下で助手として放射線物理療法研究取り組んだ1933年昭和8年2月1日幹部候補生として広島歩兵連隊入隊し短期軍医として満州事変従軍この間、緑から送られ公教要理読んでカトリック教え対す理解深めた1934年昭和9年2月1日出征より帰還し大学の研究室助手復帰浦上天主堂守山松三神父訪れる。同年6月洗礼を受け、洗礼名日本二十六聖人1人であるパウロ三木因んでパウロとした。同年8月森山緑と結婚洗礼後まもなく妻の仲介によりカトリック信徒組織である聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ会英語版)(ヴィンセンシオ会)に入会無料診断無料奉仕活動などを行いこの頃培った奉仕精神が、晩年行動へと結びついて行く。 1935年昭和10年2月急性咽頭炎蛋白刺激療法試そうとして雑菌注射した後にアナフィラキシー症状起こして危篤となった。そのため、終油の秘蹟受けた大学の景浦内科部長の手により助けられたが、それ以来喘息持病となった

※この「長崎医科大学」の解説は、「永井隆 (医学博士)」の解説の一部です。
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