著名な出身者・教員
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「台北高等学校 (旧制)」の記事における「著名な出身者・教員」の解説
卒業生鹿野忠雄:人類学者。 中村地平:作家。 武谷三男:理論物理学者。 上山春平:歴史家。 辜振甫:台湾の財界人。 邱永漢:作家・経済評論家。 李登輝:前中華民国総統。 川崎健:海洋資源学者。東北大学名誉教授。 川平朝清:沖縄放送協会初代会長(復帰前=現NHK沖縄放送局) 吉岡英一:国税庁長官、日本開発銀行総裁 大原一三:農林水産大臣、大蔵官僚 川崎寛治:衆議院議員(日本社会党) 有馬元治:衆議院議員(自由民主党)、労働事務次官 佐伯喜一:野村総合研究所会長、防衛庁防衛研修所長 小田滋:国際法学者、国際司法裁判所判事 小田稔:宇宙物理学者、理化学研究所理事長 園部逸夫:最高裁判所判事 呉建堂:『台湾万葉集』の編者 魏火曜(中国語版):台湾大学医学院小児科教授 青木茂:豊橋市長 佐々木正:技術者、シャープ元副社長 教員犬養孝:教授。万葉学者。 島田謹二:教授。日本における比較文学研究の創始者。 柴田常恵:講師。考古学者。 高峯一愚:教授。カント研究。
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著名な出身者・教員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 14:56 UTC 版)
「長崎医科大学 (旧制)」の記事における「著名な出身者・教員」の解説
出身者 永井隆 - キリスト者・医学博士(放射線医学専攻)。医大卒業後、助手となり講師・助教授を経て教授。被爆後、『長崎の鐘』『この子を残して』などを著し貧窮のうちに死去。 亀谷了 - 医学博士(寄生虫学専攻)。目黒寄生虫館を設立。 村上吉作 - 日本資本主義論争では講座派に属し農業問題研究で知られた(当時の筆名は野村耕作)。転向後医大に入学し、仮卒業生として附属医院で診療に従事していたが被爆死。 林京子 - 作家。附属厚生女学部専科中退。長崎高等女学校(長崎東高・長崎西高の前身校)在学中の被爆体験をテーマに小説『祭りの場』を著し芥川賞受賞。 下村脩 - 有機化学者・海洋生物学者。附属薬学専門部卒。緑色蛍光タンパク質(GFP)の発見とその開発で、2008年ノーベル化学賞受賞。 教員(出身者は除く) 石田昇 - 精神科医。東京帝大医科大学卒。医専時代の初代精神病科教授。呉秀三門下で日本の精神医学草創期の人物のひとり。 斎藤茂吉 - 歌人・精神科医。東京帝大医科大学卒。医専時代の精神病科教授で石田の後任。 角尾晋 - 第2内科担当。東京帝大卒。被爆時の学長(先述)。
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著名な出身者・教員
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「東京高等師範学校」の記事における「著名な出身者・教員」の解説
東京高等師範学校では、授業料が無料だった。また、政府から金銭(学費と被服費)が支給された。その代わりに、卒業後は旧制中学・高等女学校(戦後の高校に相当)や師範学校(教員養成大学)などの教員になる義務があった。しかも、所定の年数(年数は時代や条件により変動する)は教員を辞めてはいけなかった。帝国大学の授業料を払えない貧困家庭の優秀な人材が、授業料無料の高等師範学校に集まった。最終的に教員を目指さない者は、まず東京高等師範学校に入学・卒業し、教員として所定の年限を勤め終えてから、帝国大学に入学・卒業して、財界などで活躍した。例えば、東急グループの実質的創始者五島慶太などである。もちろん、そのような者は極めて少数であり、東京高等師範学校は財界では殆ど勢力が無かった。その反面、教育界では一番の勢力となった。昭和12年時点で、中等教育機関の校長の、68.4%は高等師範卒(東京高師以外の高等師範を含む)だが、帝国大学卒(全ての帝国大学を含む)は16.7%である。 詳細は「東京教育大学の人物一覧」を参照
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