みちゆきたびじのはなむこ〔みちゆきたびぢのはなむこ〕【道行旅路の花聟】
道行旅路の花聟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 04:23 UTC 版)
『道行旅路の花聟』(みちゆきたびじのはなむこ)とは、歌舞伎および日本舞踊の演目のひとつ。通称『落人』(おちうど)。
- 1 道行旅路の花聟とは
- 2 道行旅路の花聟の概要
- 3 参考文献
道行旅路の花聟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 04:05 UTC 版)
これは『仮名手本忠臣蔵』の元々の内容ではないが、現行の歌舞伎の通し上演では一体化して上演されている。 清元節を使った所作事で、天保4年(1883年)3月、江戸河原崎座で初演された。このときは『仮名手本忠臣蔵』を「表」すなわち本来の幕とし、その「裏」として段ごとに新たな幕を加えるという「裏表」の趣向で演じられたもので、この『道行旅路の花聟』は三段目の「裏」として出された所作事である。三升屋二三治の作。その語り出しが「落人も、見るかや野辺に若草の」と始まるところから、通称『落人』(おちうど)という。ただしこの語り出しは、じつは菅専助・若竹笛躬合作の浄瑠璃『けいせい恋飛脚』(安永2年〈1773年〉初演)からの焼き直しである。 内容はおかる勘平が駆け落ちを決意し、おかるの故郷山城国の山崎へと目指す途中、そのあとを追いかけてきた鷺坂伴内が二人にからむというものだが、その詞章は三段目の「裏門」から多くを拝借しており、「裏門」を書替えた所作事といえる。初演の役割は勘平が五代目市川海老蔵、おかるが三代目尾上菊五郎、伴内が尾上梅五郎。以来人気演目として、今日に至るも盛んに上演されている。楽しく色彩豊かな所作事で、さわやかな清元を聞きながら、軽やかで華やかな気分を味わう演目。せりふには地口も盛り込まれており、特に東京でよく出る。舞踊の定番の演目でもある。 なおこの所作事は、上で述べたように本来ならば三段目のあとに出すべきものであるが、戦後の昼夜二部制の興行では四段目の後に演じられている。つまり『落人』で昼の部を終り、五段目からを夜の部にする構成である。
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道行旅路の花聟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/08/05 13:14 UTC 版)
塩谷判官(史実での浅野長矩)の供侍だった早野勘平を主人公とした、日本舞踊の定番の演目。元々は外伝的な扱いだったが、現在では一体化されて上演されている。 内容は、お軽と逢引していたために主の刃傷沙汰を止められず、絶望した早野勘平がお軽と駆け落ちするというもの。 お軽に励まされ、やっと勘平が生きる希望を持ったところで高師直(史実での吉良義央)の家臣である鷺坂伴内が現れ、お軽をよこせと迫って大立ち回りとなる。 詳しくはこちらを参照して下さい。
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