かなでほんちゅうしんぐら【仮名手本忠臣蔵】
仮名手本忠臣蔵
読み方:カナデホンチュウシングラ(kanadehonchuushingura)
仮名手本忠臣蔵
仮名手本忠臣蔵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/26 00:38 UTC 版)
『仮名手本忠臣蔵』(かなでほんちゅうしんぐら)とは、人形浄瑠璃および歌舞伎の演目のひとつ。寛延元年(1748年)8月、大坂竹本座にて初演[1]。全十一段、二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作。通称『忠臣蔵』。赤穂事件を題材とするが、人物や時代背景を室町時代(南北朝時代)に仮託した内容となっている。先行作品を含むこの作品以外の赤穂事件を題材とした作品については、忠臣蔵参照。
- ^ 『近世邦楽年表 義太夫節之部』(六合館、1927年)106頁[1]など。
- ^ 松島(1964) p156
- ^ 赤間亮「最初の赤穂義士劇に関する憶説」。なおこれ以前に『東山栄華舞台』という赤穂事件を当て込んだ芝居が江戸で上演されたといわれているが、その真偽については確認されていない。また元禄16年10月に竹本座で上演されたという浄瑠璃『傾城八花形』も、その内容が赤穂事件に関わりがあるといわれるが、実際には赤穂城明け渡しなどをほのめかす記述がわずかにあるばかりで、赤穂事件を題材とした作とはいえない(『浄瑠璃集』(1985)『傾城八花形』解説)。
- ^ 『師守記』暦応4年3月29日条ほか。『大日本史料』第六編之六参照[2]。
- ^ 『国史大辞典』第五巻(吉川弘文館、1997年)486頁。
- ^ 内山美樹子「仮名手本忠臣蔵の作者」(『国文学 解釈と教材の研究』12月号第31巻15号所収、63-64頁)。
- ^ 『偽りの民主主義 GHQ・映画・歌舞伎の戦後秘史』(浜野保樹 角川書店、2008年)122頁。
- ^ 『昭和ニュース事典』第8巻(昭和17年/昭和20年 毎日コミュニケーションズ、1994年)本編15頁(「忠臣蔵」などノー、総司令部が指導 昭和20年12月12日朝日新聞)、『偽りの民主主義 GHQ・映画・歌舞伎の戦後秘史』(浜野保樹 角川書店、2008年)84頁。
- ^ 史実の吉良氏と高氏の関係に触れた論文としては、谷口雄太「中世における吉良氏と高氏」(初出:『新編西尾市史研究』2号(2016年)/所収:谷口『中世足利氏の血統と権威』 吉川弘文館、2019年)がある。
- ^ たとえば、松島(1964) p159
仮名手本忠臣蔵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 17:38 UTC 版)
「大忠臣蔵 (1957年の映画)」の記事における「仮名手本忠臣蔵」の解説
後に『仮名手本忠臣蔵』と改題されて再公開されたことからもわかるように、歌舞伎の演目を映画化した作品で、中心になるのは三段目、四段目、五段目、六段目、七段目、九段目、十一段目である。さらに原作『仮名手本』にはない、大石東下りの三島宿での出会いの場面や南部坂の瑤泉院との雪の別れの場面が追加された。また『仮名手本』が実名の役を作らなかったのに対して、この作品では実名で知られている役はそのままとなっている。例えば大星由良之助や塩治判官は大石内蔵助と浅野内匠頭であり、逆に、松の廊下で刃傷後に吉良上野介とぶつかる脇坂淡路守は原作通りに桃井若狭之助、また浅野内匠頭を止めにかかるのも原作通り加古川本蔵となっている。なお寺坂吉右衛門は原作通りなら寺岡平右衛門だが、この映画では寺坂平右衛門となっている。大石東下りの三島宿での遭遇では立花左近を大石が名乗りそこへ本物が現れる筋立てが多いが、この映画では『仮名手本』原作にあるように、垣見五郎兵衛を語りそこへ垣見五郎兵衛をよく知る立花左近が現れるという筋立てとなっている。映画の展開は、おかると早野勘平の悲恋を主軸にした史実と虚構が入り混じるものであって、『仮名手本忠臣蔵』をベースに映画的リアリズムとの調和を志向している点がこの映画の特徴といえる。
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