第3の鑑定(石山鑑定)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 03:59 UTC 版)
扼殺を主張する検察側鑑定と、病死を主張する弁護側鑑定の対立を受けて、裁判長の和田保は職権で第三者に再鑑定を命じると決定した。そして裁判所から死因の再鑑定を依頼されたのが、東京大学医学部法医学教室教授の石山昱夫である。 依頼を受けて1986年5月に作成された鑑定書のなかで、石山は遺体頸部の外表所見について、「蒼白帯状が右前頸部にみとめられ、この上縁で正中に近い部位には明瞭な線状表皮剥脱とみられる部位が存在するほか、数か所にも表皮の粗糙とみられる部位が認められる」「この部分を手掌面などの作用面積の広い鈍体によって圧迫されたものと看做すことができる」として、それまで争点とされていなかったはずの扼痕の存在を明確に認め、加えて他殺の証明である吉川線も存在するとした。 扼殺にしては筋肉内出血の位置が下過ぎる、と疑念を唱えていた木村にも反論して、頸部圧迫により筋組織が平行に移動したために、出血部位が扼頸のあった場所からずれたのだと反論した(ただし石山本人も、圧迫部位からずれた場所だけに出血が起こった事例は、実際にも文献上にも見たことがない、と認めている)。石山は、Aの妻は頸部圧迫により殺害されたと鑑定したが、直接の死因は窒息ではなく、反射性の心機能低下によるショック死であるとした。 さらに石山は、死因を病死と鑑定した「木村氏の鑑定における基礎的な心構えは、専門家のそれとは到底考えられぬ程度の無責任なもの」であり、剖検もせず遺体写真も軽視して大雑把な観察のみにとどまった木村鑑定は「法医学者として断じて許さるべきではない」として、厳しく批判した。また、原鑑定人の稲村についても石山は「法医学者のイロハも知らない」「こんな程度の現場検証を行なってすむならば、医師が立ち合うことは無意味」と酷評している。石山によれば、稲村は当初見落とした扼痕を後になって発見したのだが、それを法廷では見栄を張って当初から扼痕を認めていたと証言したがために、弁護側の反論を許すことになったのだという。
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第3の鑑定(中田鑑定)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 05:18 UTC 版)
次いで8月12日、大阪医大教授の中田による鑑定結果が提出された。鑑定書では中田は草刈と同じく、帯が(ロ)溝から(イ)溝まで滑ったと仮定するならば、2溝の角度は違っているのが当然であり、間の皮膚も布が擦った程度では異常が生じないこともある、として小南鑑定を否定した。また、小南が食後7、8時間とした死亡推定時刻も、学術上適当ではあるが、自身の経験からは食後10時間以上経っていることも考えられる、とした。 しかし、(ロ)溝の形状について中田は、経験から判断するに前頸部で帯を交差させながら下方向へ絞めたもののように思われるとし、後頚部の索溝は浅いうえに腐敗で紛れてしまったのだとした。小笛の頭髪に乱れがない点についても、絞殺体だからといって必ずしも頭髪が乱れるとは限らない、とした。そして、そもそも(ロ)溝のように帯が首の中ほどで停止することは、引き解け結びを使用した場合にはあり得ても、本件のように両端を固定した帯を輪状に結ぶ方法では決して起こり得ない、と指摘した。以上の点から中田は、小笛は絞殺された後に自殺体を偽装されたものと結論した。
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