第10、第11の哨戒 1944年10月 - 1945年2月とは? わかりやすく解説

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第10、第11の哨戒 1944年10月 - 1945年2月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/22 18:25 UTC 版)

バーブ (潜水艦)」の記事における「第10、第11の哨戒 1944年10月 - 1945年2月」の解説

10月27日バーブ10回目哨戒クイーンフィッシュ、ピクーダ (USS Picuda, SS-382) とウルフパック構成し東シナ海向かった11月10日3時40分、バーブ北緯3331分 東経12919分 / 北緯33.517度 東経129.317度 / 33.517; 129.317の古志岐島沖で特設運送船護国丸大阪商船10,438トン)を発見する護国丸駆逐艦響の護衛の下に基隆出港したが、響の艦内赤痢患者発生したため護国丸別れて佐世保急行し以降単独航行となっていた。バーブ魚雷3本発射し護国丸に2本命中。その後浮上して止めを刺そうとしたが、護国丸からの射撃を受け即座に潜航し、さらに魚雷三度にわたり1本ずつ発射して命中させ、護国丸撃沈した北部九州地区爆撃する B-29掩護行った後、11月12日未明には北緯3130東経12557分 / 北緯31.500度 東経125.950度 / 31.500; 125.950の地点モマ07船団発見し魚雷三度わたって2本ずつ計8本発射しいくつかの命中確認明け方近くには魚雷をさらに3本発射しそのうちの1本が輸送船鳴尾丸(山下汽船、4,823トン)に命中し砲弾2万発の誘爆南方軍経理部候補生490名などともろとも木っ端微塵とした。11月14日朝には北緯3415東経12754分 / 北緯34.250度 東経127.900度 / 34.250; 127.900の地点で、3隻の300トンスクーナー発見して浮上砲戦撃ち沈めた11月15日夜、バーブ北緯3215東経12638分 / 北緯32.250度 東経126.633度 / 32.250; 126.633の地点レーダー目標探知し輸送船団だと思って接近してみると、目標輸送船団ではなく、「翔鶴型航空母艦」と思しき空母と4隻の駆逐艦であることが分かった。他の潜水艦に対して接触報告送信した後、魚雷を5本発射して1本が命中したようだと判断され空母本拠地向けて高速走り去った11月17日にも北緯3119東経130度06分 / 北緯31.317度 東経130.100度 / 31.317; 130.100の長崎半島近海で2隻の1,000トン輸送船発見し魚雷を2本発射した命中しなかった。11月25日バーブ30日間行動終えてミッドウェー島帰投した。 12月19日バーブ11回目哨戒クイーンフィッシュ、ピクーダとウルフパック構成し東シナ海向かった1945年1月1日バーブ北緯2509東経135度13分 / 北緯25.150度 東経135.217度 / 25.150; 135.217の地点300トン級の監視艇発見しクイーンフィッシュとピクーダが攻撃した後に砲撃撃沈し1945年初戦果とした。1月7日バーブ台湾北西岸でモタ30船団探知しクイーンフィッシュ、ピクーダとともに追跡を行う。翌1月8日夕刻バーブ北緯2450東経12035分 / 北緯24.833度 東経120.583度 / 24.833; 120.583の地点魚雷を6本発射し、左に針路をとった直後4つ命中音と3つの爆発聴取。この攻撃輸送船辰洋丸(辰馬合資、6,892トン)が轟沈した。バーブは一旦浮上しレーダーモタ30船団、ピクーダおよびクイーンフィッシュ各々位置確認の後、ピクーダとクイーンフィッシュ攻撃起因する爆発確認しつつ第二撃態勢整え21時ごろには「大型輸送船に対して魚雷3本発射して3つの命中確認する20分後には第三撃で別の目標に対して魚雷3本発射し、これも3つの命中確認した。ピクーダは21時の少し前と日付1月9日変わった直後二度攻撃行って2隻の大型輸送船撃沈報じクイーンフィッシュ20時過ぎから23時過ぎの間に大型輸送船10,000トンタンカーおよび駆逐艦に対して四度攻撃行ったが、魚雷を計16発射して10,000トンタンカーに2本命中させただけという有様で、フラッキー艦長クイーンフィッシュチャールズ・E・ラフリン艦長アナポリス1933年組)の攻撃ぶりを「信じられないほど下手な魚雷発射」と評した。辰洋丸のほか、21前に魚雷3本命中して沈没した輸送船安洋丸(南洋海運、9,256トン)と、魚雷が1本命中した漂流して1月9日明け方沈没したタンカー三洋丸(浅野物産、2,854トン)、被弾損傷した輸送船明宝丸(明治海運、2,857トン)がバーブ戦果として認定された。フラッキー艦長酷評されクイーンフィッシュも、海軍徴傭タンカー満珠丸(日本油槽船、6,515トン)に魚雷命中させて同船座礁放棄追い込んでおり、ピクーダは輸送船羅津丸(大連汽船、5,462トン)に魚雷命中させて損傷与えていた。タンカー彦島丸(三菱汽船、2,854トン)はバーブ、ピクーダ、クイーンフィッシュ共同戦果となっているが、彦島丸は合計26本もの魚雷回避した末に通霄湾の海岸座礁し全損となったもので、被弾はなかった。 1月22日深夜から1月23日早朝にかけて、バーブ北緯2702東経12027分 / 北緯27.033度 東経120.450度 / 27.033; 120.450の福州北東浅海仮泊中のモタ32船団接近バーブ浮上状態で魚雷を4本発射し反転してさらに魚雷を4本発射魚雷輸送船大恭丸(大阪商船、5,244トン)に3本命中し撃沈バーブ機雷敷設され水域浮上したまま高速後退したバーブ泊地攻撃は4隻の輸送船撃沈した判断された。この戦果により、フラッキー艦長名誉勲章受章しバーブ殊勲部隊章受章した1月29日朝、バーブ北緯2505東経11933分 / 北緯25.083度 東経119.550度 / 25.083; 119.550の地点でピクーダとともにモタ33船団に対して攻撃行い魚雷を4本発射して1本の命中判断されるが、詳しい結果は分からなかった。ピクーダは陸軍輸送船くらいど丸(南洋海運、5,497トン)を撃沈した2月15日バーブ56日間行動終えて真珠湾帰投メア・アイランド海軍造船所回航され、オーバーホール入った。このオーバーホール中、バーブに、5インチロケット弾が搭載できるマーク51ロケットランチャー6基が装備された。このロケット弾一斉射で12発発射でき、最大射程は4,800メートルだった。ランチャー自体着脱自在なように、甲板留め具装備されていた。バーブはこのロケット弾100搭載する予定だったが、実際に72発し搭載せず、真珠湾向かった

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