第10、第11の哨戒 1944年10月 - 1945年2月
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「バーブ (潜水艦)」の記事における「第10、第11の哨戒 1944年10月 - 1945年2月」の解説
10月27日、バーブは10回目の哨戒でクイーンフィッシュ、ピクーダ (USS Picuda, SS-382) とウルフパックを構成し東シナ海に向かった。11月10日3時40分、バーブは北緯33度31分 東経129度19分 / 北緯33.517度 東経129.317度 / 33.517; 129.317の古志岐島沖で特設運送船護国丸(大阪商船、10,438トン)を発見する。護国丸は駆逐艦響の護衛の下に基隆を出港したが、響の艦内で赤痢患者が発生したため護国丸と別れて佐世保に急行し、以降は単独航行となっていた。バーブは魚雷を3本発射し、護国丸に2本命中。その後、浮上して止めを刺そうとしたが、護国丸からの射撃を受け即座に潜航し、さらに魚雷を三度にわたり1本ずつ発射して命中させ、護国丸を撃沈した。北部九州地区を爆撃する B-29 の掩護を行った後、11月12日未明には北緯31度30分 東経125度57分 / 北緯31.500度 東経125.950度 / 31.500; 125.950の地点でモマ07船団を発見し、魚雷を三度にわたって2本ずつ計8本発射し、いくつかの命中を確認。明け方近くには魚雷をさらに3本発射し、そのうちの1本が輸送船鳴尾丸(山下汽船、4,823トン)に命中し、砲弾2万発の誘爆で南方軍経理部候補生約490名などともろとも木っ端微塵とした。11月14日朝には北緯34度15分 東経127度54分 / 北緯34.250度 東経127.900度 / 34.250; 127.900の地点で、3隻の300トン級スクーナーを発見して浮上砲戦で撃ち沈めた。11月15日夜、バーブは北緯32度15分 東経126度38分 / 北緯32.250度 東経126.633度 / 32.250; 126.633の地点でレーダーで目標を探知し、輸送船団だと思って接近してみると、目標は輸送船団ではなく、「翔鶴型航空母艦」と思しき空母と4隻の駆逐艦であることが分かった。他の潜水艦に対して接触報告を送信した後、魚雷を5本発射して1本が命中したようだと判断され、空母は本拠地に向けて高速で走り去った。11月17日にも北緯31度19分 東経130度06分 / 北緯31.317度 東経130.100度 / 31.317; 130.100の長崎半島近海で2隻の1,000トン級輸送船を発見し、魚雷を2本発射したが命中しなかった。11月25日、バーブは30日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 12月19日、バーブは11回目の哨戒でクイーンフィッシュ、ピクーダとウルフパックを構成し東シナ海に向かった。1945年1月1日、バーブは北緯25度09分 東経135度13分 / 北緯25.150度 東経135.217度 / 25.150; 135.217の地点で300トン級の監視艇を発見し、クイーンフィッシュとピクーダが攻撃した後に砲撃で撃沈して1945年の初戦果とした。1月7日、バーブは台湾北西岸でモタ30船団を探知し、クイーンフィッシュ、ピクーダとともに追跡を行う。翌1月8日夕刻、バーブは北緯24度50分 東経120度35分 / 北緯24.833度 東経120.583度 / 24.833; 120.583の地点で魚雷を6本発射し、左に針路をとった直後に4つの命中音と3つの爆発を聴取。この攻撃で輸送船辰洋丸(辰馬合資、6,892トン)が轟沈した。バーブは一旦浮上し、レーダーでモタ30船団、ピクーダおよびクイーンフィッシュの各々の位置を確認の後、ピクーダとクイーンフィッシュの攻撃に起因する爆発を確認しつつ第二撃の態勢を整え、21時ごろには「大型輸送船」に対して魚雷を3本発射して3つの命中を確認する。20分後には第三撃で別の目標に対して魚雷を3本発射し、これも3つの命中を確認した。ピクーダは21時の少し前と日付が1月9日に変わった直後の二度攻撃を行って2隻の大型輸送船撃沈を報じ、クイーンフィッシュは20時過ぎから23時過ぎの間に大型輸送船、10,000トン級タンカーおよび駆逐艦に対して四度の攻撃を行ったが、魚雷を計16本発射して10,000トン級タンカーに2本命中させただけという有様で、フラッキー艦長はクイーンフィッシュのチャールズ・E・ラフリン艦長(アナポリス1933年組)の攻撃ぶりを「信じられないほど下手な魚雷発射」と評した。辰洋丸のほか、21時前に魚雷が3本命中して沈没した輸送船安洋丸(南洋海運、9,256トン)と、魚雷が1本命中した後漂流して、1月9日明け方に沈没したタンカー三洋丸(浅野物産、2,854トン)、被弾損傷した輸送船明宝丸(明治海運、2,857トン)がバーブの戦果として認定された。フラッキー艦長に酷評されたクイーンフィッシュも、海軍徴傭タンカー満珠丸(日本油槽船、6,515トン)に魚雷を命中させて同船を座礁放棄に追い込んでおり、ピクーダは輸送船羅津丸(大連汽船、5,462トン)に魚雷を命中させて損傷を与えていた。タンカー彦島丸(三菱汽船、2,854トン)はバーブ、ピクーダ、クイーンフィッシュの共同戦果となっているが、彦島丸は合計26本もの魚雷を回避した末に通霄湾の海岸に座礁し全損となったもので、被弾はなかった。 1月22日深夜から1月23日早朝にかけて、バーブは北緯27度02分 東経120度27分 / 北緯27.033度 東経120.450度 / 27.033; 120.450の福州北東の浅海で仮泊中のモタ32船団に接近。バーブは浮上状態で魚雷を4本発射し、反転してさらに魚雷を4本発射。魚雷は輸送船大恭丸(大阪商船、5,244トン)に3本が命中し撃沈。バーブは機雷の敷設された水域を浮上したまま高速で後退した。バーブの泊地攻撃は4隻の輸送船を撃沈したと判断された。この戦果により、フラッキー艦長は名誉勲章を受章し、バーブは殊勲部隊章を受章した。1月29日朝、バーブは北緯25度05分 東経119度33分 / 北緯25.083度 東経119.550度 / 25.083; 119.550の地点でピクーダとともにモタ33船団に対して攻撃を行い、魚雷を4本発射して1本の命中と判断されるが、詳しい結果は分からなかった。ピクーダは陸軍輸送船くらいど丸(南洋海運、5,497トン)を撃沈した。2月15日、バーブは56日間の行動を終えて真珠湾に帰投。メア・アイランド海軍造船所に回航され、オーバーホールに入った。このオーバーホール中、バーブに、5インチロケット弾が搭載できるマーク51型ロケットランチャー6基が装備された。このロケット弾は一斉射で12発発射でき、最大射程は4,800メートルだった。ランチャー自体も着脱自在なように、甲板に留め具が装備されていた。バーブはこのロケット弾を100発搭載する予定だったが、実際には72発しか搭載せず、真珠湾に向かった。
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