海軍徴傭とは? わかりやすく解説

海軍徴傭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/12 19:48 UTC 版)

あるぜんちな丸」の記事における「海軍徴傭」の解説

1941年昭和16年9月29日、「あるぜんちな丸」は日本海軍に徴傭される。当初一般傭船としてトラック諸島サイパン島クェゼリン環礁などへの輸送任務従事する1942年昭和17年5月1日付で特設運送船となって連合艦隊付属され呉海軍工廠12センチ砲2門と7.7ミリ機銃2基の装備はじめとする艤装工事を受ける。呉停泊中、「あるぜんちな丸」に第二連合特別陸戦隊司令官大田実大佐がやってきて、「あるぜんちな丸」が今後投入される作戦についての説明行った。「あるぜんちな丸」の任務は「ぶら志゛る丸」(大阪商船12,752トンとともに第五特別陸戦隊乗船させ、「ミッドウェー島MI)」まで輸送することであった特別陸戦隊816名を乗せたあるぜんちな丸」は、「特設巡洋艦清澄丸」(国際汽船、8,613トン)などとともに5月15日に呉を出撃して5月20日サイパン島到着する各種訓練行ったのち攻略部隊編成し5月28日第二水雷戦隊田中頼三少将)などの護衛の下にサイパン島出撃して、一路ミッドウェー島に向かう。しかし、攻略部隊6月4日になってB-17PBY カタリナ爆撃を受け、その攻撃は「船団中ノ最豪華ニシテ比較後尾占位セル」「あるぜんちな丸」を目標にしたかのようであった。「あるぜんちな丸」は固有の機銃2基に加えて陸戦隊機銃12基の加勢得て航空機撃退した。ただ、撃退したとはいえ、のちの戦訓所見では「七粍七機銃ハ殆ント其ノ効果ナキガ如シ」と対空火器貧弱さ指摘し、「是非トモ何等カノ工作ヲ施シテ対空射程四、五千米程度ヲ有スル相当有力ナル火器ヲ成ルベク多数装備セラレンコトヲ望ム」と戦闘詳報締めくくっている。翌6月5日ミッドウェー海戦生起し第一航空艦隊南雲忠一中将)が壊滅し作戦中止になったため攻略部隊反転せざるを得なかった。6月13日、「あるぜんちな丸」は大宮島グアム)に帰投間もなくアリューシャン方面の戦い投入され7月5日部隊キスカ島上陸させた。 8月1日連合艦隊付属から離れたあるぜんちな丸」は、昭南シンガポール)、マカッサルスラバヤ方面への輸送任務を行う。10月高雄予備学生輸送したあと、空母改装のため12月10日付で日本海軍買収された。改装の際、搭載していたディーゼル機関のままでは速力不足したのでタービン機関換装されることとなり、陸揚げしたディーゼル機関は1基が川崎型油槽船最終船の「久栄丸」(日東汽船10,171トン)に搭載された。もう1基は10月24日に米潜トリガー(USS Trigger, SS-237)の雷撃により日章丸昭和タンカー10,526トン)の機関大破し復旧不能判断されたため、代わり機関として搭載された。空母改装以降については「海鷹」の項目を参照されたい。

※この「海軍徴傭」の解説は、「あるぜんちな丸」の解説の一部です。
「海軍徴傭」を含む「あるぜんちな丸」の記事については、「あるぜんちな丸」の概要を参照ください。

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