第3の哨戒 1944年1月 - 3月
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「ボーンフィッシュ (SS-223)」の記事における「第3の哨戒 1944年1月 - 3月」の解説
1944年1月12日、ボーンフィッシュは3回目の哨戒で南シナ海に向かった。1月22日朝、ボーンフィッシュは南緯02度36分 東経118度06分 / 南緯2.600度 東経118.100度 / -2.600; 118.100のマカッサル海峡で60トン級帆船を発見する。ボーンフィッシュは帆船に接近して交信を試みたが、帆船の7人の乗組員が不審な動きをした挙句、船を捨てることをよしとしなかったため、ボーンフィッシュは20ミリ機銃で帆船を射撃。帆船に乗り合わせた原住民は海中に飛び込み、帆船が沈むその時に、39人の日本軍兵士が船底から脱出するのを確認した。バラバク海峡を抜けて南シナ海に入り、哨戒海域に到着した。2月6日午前、ボーンフィッシュは北緯12度01分 東経109度24分 / 北緯12.017度 東経109.400度 / 12.017; 109.400のカムラン湾沖でおそらくは17隻はあろうかと思われる輸送船団を発見。ボーンフィッシュは時間をかけてこの輸送船団、第357船団をつぶさに観察し、午後に入って北緯11度55分 東経109度18分 / 北緯11.917度 東経109.300度 / 11.917; 109.300の地点に至ったところでタンカーと輸送船を目標に魚雷を6本発射。次に艦尾発射管から魚雷を発射しようと旋回したところ、護衛艦が急接近。ボーンフィッシュは潜望鏡を引っ込めて深深度潜航に入るため、9トンの海水が前部に注入された。発射した魚雷は、タンカーに2本と輸送船に少なくとも1本は命中したように思えたが、いずれにせよ目標は沈没には至らなかったものと判断された。実際には輸送船うすりい丸(大阪商船、6,385トン)に魚雷が向かったものの、被害はなかった。第357船団はほとぼりが冷めるまでカムラン湾に避難し、3日後の2月9日に航行を再開する。ボーンフィッシュは湾内から出てきた第357船団と再び接触し、北緯11度30分 東経109度08分 / 北緯11.500度 東経109.133度 / 11.500; 109.133の地点で海軍徴傭タンカー第二図南丸(日本海洋漁業、19,262トン)に向けて魚雷を5本発射。攻撃直後、ボーンフィッシュは護衛艦と航空機の制圧を受け、海底で反撃が止むのをひたすら待ったため戦果を確認できず、夕方になって浮上したが、その頃には第357船団の姿はなかった。日本側では、第二図南丸に魚雷が命中して小破したと記録された。ボーンフィッシュはその後1ヵ月近く哨戒を行って目標を探し続ける一方、2月16日未明にはパダラン岬沖に浮上し、灯台に対して艦砲射撃を行った。3月15日、ボーンフィッシュは60日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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第3の哨戒 1944年1月 - 3月
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「ジャック (潜水艦)」の記事における「第3の哨戒 1944年1月 - 3月」の解説
「ヒ40船団」も参照 1944年1月16日、ジャックは3回目の哨戒で南シナ海に向かった。この海域はさすがに重要船団や重要船が多かった。2月19日3時58分ごろ、ジャックのレーダーが北緯14度37分 東経114度07分 / 北緯14.617度 東経114.117度 / 14.617; 114.117の地点で複数の目標を探知した。よく確認すると、それは日本に向けて北上するヒ40船団で、5隻のタンカーと3隻ぐらいの護衛艦がいると判断された。ジャックはヒ40船団に接近しつつ、相手の隊列が二列縦隊であることを確認し、よいポジションを占めるべく行動した。4時42分、ジャックは射点に就き、2隻の目標に向けて魚雷を3本ずつ計6本発射。うち2本がタンカー南栄丸(日東汽船、5,019トン)に命中し大爆発を生じさせ撃沈し、もう2本はジャックからは死角になっていて見えなかったが、別のタンカー国栄丸(日東汽船、5,155トン)に命中し撃沈した。護衛の海防艦占守がこちらに向かう気配を見せたためジャックは避退し、第二撃をかけるべく準備を急いだ。やがて日が昇りつつある頃、船団の姿がはっきり見えるようになった。ジャックは昼に浮上し、速力を上げて250キロもの距離を移動して船団の前方で潜航し、待ち伏せをした。午後、ジャックは船団を再度発見し、それから1時間経った18時49分、ジャックは北緯15度46分 東経115度57分 / 北緯15.767度 東経115.950度 / 15.767; 115.950の地点で2隻のタンカーに対して魚雷を4本発射。魚雷はタンカー一洋丸(浅野物産、5,106トン)と日輪丸(昭和タンカー、5,163トン)に命中し2隻とも沈没していった。残るは特設運送船(給油)南邦丸(飯野海運、10,033トン)と海軍徴傭船浅間丸(日本郵船、16,975トン)だけとなった。ジャックは1時間後に浮上し20時52分に北緯15度45分 東経115度39分 / 北緯15.750度 東経115.650度 / 15.750; 115.650の地点で魚雷を3本発射したが命中せず、22時33分にも北緯15度59分 東経115度55分 / 北緯15.983度 東経115.917度 / 15.983; 115.917の地点で魚雷を4本発射し、3つの命中があったとした。ジャックは17本の魚雷をもって一つの船団を事実上壊滅状態に追い込んだ。3月1日未明には北緯14度52分 東経117度48分 / 北緯14.867度 東経117.800度 / 14.867; 117.800の地点で1隻のタンカーと3隻の輸送船、2隻の護衛艦からなる輸送船団を探知し、2番目の目標に対して魚雷を3本発射して2本の命中を確認。続いて2隻の輸送船に対して魚雷を4本発射し、これも2つの命中を確認した。この攻撃で魚雷を撃ちつくしたので、ジャックは哨戒を打ち切ることとした。3月13日、ジャックは51日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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