第3の哨戒 1944年1月 - 3月とは? わかりやすく解説

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第3の哨戒 1944年1月 - 3月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 00:24 UTC 版)

ボーンフィッシュ (SS-223)」の記事における「第3の哨戒 1944年1月 - 3月」の解説

1944年1月12日、ボーンフィッシュは3回目の哨戒南シナ海向かった1月22日朝、ボーンフィッシュは南緯0236東経11806分 / 南緯2.600度 東経118.100度 / -2.600; 118.100のマカッサル海峡60トン帆船発見する。ボーンフィッシュは帆船接近して交信試みたが、帆船の7人の乗組員不審動きをした挙句、船を捨てることをよしとしなかったため、ボーンフィッシュは20ミリ機銃帆船射撃帆船乗り合わせた原住民海中飛び込み帆船が沈むその時に、39人の日本軍兵士船底から脱出するのを確認したバラバク海峡抜けて南シナ海入り哨戒海域到着した2月6日午前、ボーンフィッシュは北緯12度01東経10924分 / 北緯12.017度 東経109.400度 / 12.017; 109.400のカムラン湾沖でおそらくは17隻はあろうかと思われる輸送船団発見。ボーンフィッシュは時間をかけてこの輸送船団、第357船団つぶさに観察し午後に入って北緯11度55東経10918分 / 北緯11.917度 東経109.300度 / 11.917; 109.300の地点至ったところでタンカー輸送船目標魚雷を6本発射次に艦尾発射管から魚雷発射しようと旋回したところ、護衛艦が急接近。ボーンフィッシュは潜望鏡引っ込めて深深潜航に入るため、9トン海水前部注入された。発射した魚雷は、タンカーに2本と輸送船少なくとも1本は命中したように思えたが、いずれにせよ目標沈没には至らなかったものと判断された。実際に輸送船うすりい丸(大阪商船、6,385トン)に魚雷向かったものの、被害はなかった。第357船団ほとぼり冷めるまでカムラン湾避難し3日後の2月9日航行再開する。ボーンフィッシュは湾内から出てきた第357船団と再び接触し北緯11度30東経10908分 / 北緯11.500度 東経109.133度 / 11.500; 109.133の地点海軍徴傭タンカー第二図南丸日本海洋漁業19,262トン)に向けて魚雷を5本発射攻撃直後、ボーンフィッシュは護衛艦航空機制圧を受け、海底反撃が止むのをひたすら待ったため戦果確認できず、夕方になって浮上したが、その頃には第357船団の姿はなかった。日本側では、第二図南丸魚雷命中して小破したと記録された。ボーンフィッシュはその後1ヵ月近く哨戒行って目標探し続け一方2月16日未明にはパダラン岬沖に浮上し灯台に対して艦砲射撃行った3月15日、ボーンフィッシュは60日間行動終えてフリーマントル帰投した。

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第3の哨戒 1944年1月 - 3月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/26 20:51 UTC 版)

ジャック (潜水艦)」の記事における「第3の哨戒 1944年1月 - 3月」の解説

ヒ40船団」も参照 1944年1月16日ジャック3回目の哨戒南シナ海向かった。この海域さすがに重要船団や重要船が多かった2月19日3時58分ごろ、ジャックレーダー北緯14度37東経11407分 / 北緯14.617度 東経114.117度 / 14.617; 114.117の地点複数目標探知した。よく確認すると、それは日本向けて北上するヒ40船団で、5隻のタンカーと3隻ぐらいの護衛艦がいると判断された。ジャックヒ40船団接近しつつ、相手隊列が二列縦隊であることを確認し、よいポジション占めるべく行動した4時42分、ジャック射点に就き、2隻の目標向けて魚雷3本ずつ計6本発射。うち2本がタンカー南栄丸(日東汽船、5,019トン)に命中し爆発生じさせ撃沈し、もう2本はジャックからは死角になっていて見えなかったが、別のタンカー国栄丸(日東汽船、5,155トン)に命中し撃沈した護衛海防艦占守がこちらに向かう気配見せたためジャック避退し、第二撃をかけるべく準備急いだ。やがて日が昇りつつある頃、船団の姿がはっきり見えようになったジャックは昼に浮上し速力上げて250キロもの距離を移動して船団前方潜航し待ち伏せをした。午後ジャック船団再度発見し、それから1時間経った1849分、ジャック北緯15度46東経11557分 / 北緯15.767度 東経115.950度 / 15.767; 115.950の地点で2隻のタンカーに対して魚雷を4本発射魚雷タンカー一洋丸(浅野物産、5,106トン)と日輪丸昭和タンカー、5,163トン)に命中し2隻とも沈没していった。残るは特設運送船給油)南邦丸(飯野海運10,033トン)と海軍徴傭浅間丸日本郵船16,975トン)だけとなったジャック1時間後に浮上し2052分に北緯15度45分 東経11539分 / 北緯15.750度 東経115.650度 / 15.750; 115.650の地点魚雷3本発射した命中せず2233分にも北緯15度59東経11555分 / 北緯15.983度 東経115.917度 / 15.983; 115.917の地点魚雷を4本発射し3つの命中があったとした。ジャック17本の魚雷をもって一つ船団事実上壊滅状態追い込んだ3月1日未明には北緯14度52東経11748分 / 北緯14.867度 東経117.800度 / 14.867; 117.800の地点で1隻のタンカーと3隻の輸送船、2隻の護衛艦からなる輸送船団探知し2番目の目標に対して魚雷3本発射して2本の命中確認続いて2隻の輸送船に対して魚雷を4本発射し、これも2つ命中確認した。この攻撃魚雷撃ちつくしたので、ジャック哨戒打ち切ることとした。3月13日ジャック51日間行動終えてフリーマントル帰投した。

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