第二次世界大戦前から戦時中
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 05:14 UTC 版)
「オペル・ブリッツ」の記事における「第二次世界大戦前から戦時中」の解説
1930年にオペル社リュッセスハイム工場で生産を開始、アメリカ流の大量生産技術を用いて、競合メーカー製品より廉価に量産され、オペルの経営を支えると共に、1930年代中期にはドイツ国内の中型トラック市場の覇権を握るに至った。当初のエンジンはGMから設計を供与されたビュイック用のサイドバルブ・68hpであったが、1937年以降はやはりGM系のシボレーOHVエンジンにルーツを持つ、大型乗用車・アドミラルと共用の3.6L・75hp、およびその縮小版設計である中型乗用車オペル・ズーパー6とその後継車カピテーン用の2.5L・55hpを搭載した。基本はトラック用の高床シャーシであるが、派生型として主にバスボディ架装用の低床シャーシも生産された。 ナチス党政権下で再軍備を開始した当時のドイツでは軍民双方のトラック需要が大きく、オペルは1935年に政府命令でブランデンブルク工場を開設、ここで1944年までに13万台を超えるブリッツトラックおよびそのベアシャシーが生産された(オペル ブランデンブルク工場も参照のこと)。 第二次世界大戦初期の1940年、オペル社はナチス・ドイツ政府の管理下に置かれる。オペルは第二次世界大戦中、ドイツ国内で多数のトラック製造を行っており、特に使いやすいクラスであるブリッツは、ドイツの武装親衛隊・国防軍が軍用トラックとして第二次大戦中にドイツの占領下にあったフランスをはじめ、北アフリカ戦線、ソビエト連邦への戦線での物資と兵士輸送用として運用され、大戦中に総計で100,000両を超える生産が行われた、ドイツを代表する軍用トラックであった。 なお、ブリッツは3トン型中型トラックとも称されるが、これは自重込みの重さなので実際の積載量は1.5トンほどである。駆動方式は通常の後輪駆動であるが全輪駆動型も存在する。 ブランデンブルク工場は1944年8月6日、イギリス空軍の戦略爆撃で大きな被害を受けた。そのため軍需大臣アルベルト・シュペーアの指示で、ダイムラー・ベンツ(現ダイムラー)のマンハイム工場が、自社のメルセデス・ベンツL3000トラックの生産を止め、代わりに標準的なブリッツ3.6Lトラックの生産を受け持つ措置が行われた。ダイムラー・マンハイム工場は2,500台のブリッツを終戦までに生産、更に戦後も占領軍であるソ連軍の指示により「L701」の形式でブリッツ3.6Lを1949年まで生産した。なおドイツにおけるこれらの戦時軍需生産には、強制労働が伴ったことが伝えられている。 西部戦線では連合国軍がブリッツを鹵獲する事例もあり、ドイツ軍側は時には取り残さざるを得ないブリッツのエンジン回りを破壊してから退却したが、ブリッツのOHV6気筒エンジンはGM系列のシボレーおよびGMC車、またGMのイギリス現地法人企業であったヴォクスホール製商用車のベドフォードとの共通性・互換性を多く備え、GMC車やベドフォード車は連合軍側軍用車にも多々使われていたため、鹵獲した連合国軍側はエンジンの破損したブリッツを容易に再生して利用できたという。
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