渡洋爆撃とは? わかりやすく解説

渡洋爆撃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/26 13:16 UTC 版)

渡洋爆撃(とようばくげき)とは、総じて海洋を越えて実施する爆撃行のことであるが、特に1937年昭和12年)8月13日夜に勃発した第二次上海事変において、大日本帝国海軍上海租界海軍陸戦隊第三艦隊、現地居留民を支援するために行った14日、15日、16日の長距離爆撃は、渡洋爆撃の名でセンセーショナルに報道されて以後有名となった。


注釈

  1. ^ 1937年8月13日23時50分に第三艦隊空襲計画発令。14日、午前11時ごろ、敵爆撃機10数機の来襲を受け、出雲、第八戦隊、陸戦隊本部などが爆撃された。これを受け、攻撃命令が14日午後1時に発令された[2]
  2. ^ 大阪大学 名誉教授 片山 剛による論文「日中戦争期南京の諸相に関する時空間復元 ─ 未利用資料の活用による新研究」の中に、「南京略図」の掲載があり、明故宮飛行場と大校場飛行場の位置が確認できる[5]。 

出典

  1. ^ 上野盛夫 (1999年). “世界初の渡洋爆撃<大村海軍航空隊から離陸(発進)した攻撃機> <大村空襲・戦災・戦争遺跡・記録など>”. https://www.fukushige.info/. 2024年5月26日閲覧。
  2. ^ a b 1連空機密第23号の3 戦闘詳報第1(8月14日) 第1連合航空隊 昭和12年10月10日」 アジア歴史資料センター Ref.C14120253100 
  3. ^ 鹿空機密第38号 広徳、杭州攻撃戦闘詳報 鹿屋海軍航空隊 昭和12年8月14日)」 アジア歴史資料センター Ref.C14120253200 
  4. ^ 鹿空機密第38号の2 南昌攻撃戦闘詳報 鹿屋海軍航空隊 昭和12年8月15日 」 アジア歴史資料センター Ref.C14120253400 
  5. ^ 片山 剛 (2018年). “日中戦争期南京の諸相に関する時空間復元 ―― 未利用資料の活用による新研究” (PDF). https://www.jfe-21st-cf.or.jp/. 2018年度 アジア歴史研究報告書. 公益財団法人 JFE21世紀財団. 2024年5月24日閲覧。
  6. ^ 笠原十九司『南京事件』(株)岩波書店、1997年11月20日、17-18頁。 
  7. ^ 鹿空機密第38号の3 句容、揚州攻撃戦闘詳報 鹿屋海軍航空隊 昭和12年8月16日 」 アジア歴史資料センター Ref.C14120253700 
  8. ^ 蘇洲攻撃戦闘詳報 木更津海軍航空隊 昭和12年8月16日」 アジア歴史資料センター Ref.C14120253800 
  9. ^ 1連空機密第23号の3の3 戦闘詳報第3(8月16日) 第1連合航空隊 昭和12年10月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C14120253600 
  10. ^ 木更津海軍航空隊(本隊)事変日誌 所属第3艦隊役務 自昭和12年8月1日至昭和12年8月31日/会計経理の部」 アジア歴史資料センター Ref.C14120394200 
  11. ^ 滁州、揚州攻撃戦闘詳報 木更津海軍航空隊 昭和12年8月21日」 アジア歴史資料センター Ref.C14120255300 
  12. ^ LIFE 1937, p. 27.
  13. ^ 秦(1998)、PP.8-9
  14. ^ 秦(1998)、P.37
  15. ^ 秦(1998)、P.96
  16. ^ 高山正之 「変見自在」 週刊新潮2007年6月7日号、「第二次上海事変における中国人による日本人捕虜の残虐処刑 (1996年、CNN)」 YouTube など
  17. ^ a b 秦(1998)、P.102
  18. ^ 秦(1998)、P.50
  19. ^ 中山(2007年)、256頁。
  20. ^ 秦(1998)、P.103
  21. ^ 秦(1998)、P.110
  22. ^ 中山(2007年)、135-141頁。
  23. ^ 中山(2007年)、320頁。
  24. ^ a b 中山(2007年)、305-309頁。
  25. ^ 「経済封鎖から見た太平洋戦争開戦の経緯 ―経済制裁との相違を中心にして―」高橋文雄 37頁
  26. ^ 重慶大爆撃の研究 岩波書店 22ページ
  27. ^ PROTECTION OF CIVILIAN POPULATIONS AGAINST BOMBING FROM THE AIR IN CASE OF WAR Unanimous resolution of the League of Nations Assembly,September 30, 1938.
  28. ^ 石川寅治 (1941年). “渡洋爆撃”. https://www.momat.go.jp/. 東京国立近代美術館. 2024年5月21日閲覧。
  29. ^ 島村三七雄 (1941年). “渡洋爆撃行”. https://www.momat.go.jp/. 東京国立近代美術館. 2024年5月21日閲覧。



渡洋爆撃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 09:14 UTC 版)

梅林孝次」の記事における「渡洋爆撃」の解説

14日台風の中で初の渡洋爆撃が敢行されることとなり、新田慎一少佐率い九六式陸上攻撃機 9機、浅野太郎少佐率いる8機は台湾松飛行場発し荒天の中をそれぞれ杭州広徳飛行場への渡洋爆撃に出撃した。この時、梅林浅野隊の2番小隊長であった浅野隊は飛行場施設および航空機250キロ爆弾投入し格納庫2、高射砲1および滑走路留めてあったノースロップ・ガンマ2EC(英語版爆撃機20、カーチス・ホーク戦闘機10大部分破壊報告したが、中国空軍暫編第34中隊長周庭上尉のカーチス・ホーク英語版)(老ホーク)に進路妨害され実際に爆弾多く稲田落ちて失敗した思われる。また帰路にて、梅林小隊2番機片野正平三空曹機)が銭塘江上空にて中国空軍4大隊第22中隊分隊長・鄭少愚中尉のカーチス・ホーク英語版)(新ホーク)に燃料タンク撃ちぬかれ、基隆港の社寮島(中国語版灯台沖に不時着水乗員救助されたが機体放棄された。新田隊は高志航中校率いる第4大主力迎撃を受け、2機未帰還・1機大破損害負った16日句容揚州への渡洋爆撃が実施されることとなり、午前8時、新田少佐率い句容爆撃隊6機が、8時40分には石俊大尉率い揚州爆撃隊7機が松山飛行場発した梅林は石隊の2番小隊1番機搭乗し小隊長偵察であった。9時30分、石大搭乗機発動機不調により引き返したため、梅林指揮官代理となる。12時15分ごろ、揚州飛行場爆撃12時30分ごろ、中国空軍第5大隊24中隊25中隊の新ホーク10機との戦闘で左タンク被弾機体炎上その際黒煙の中から僚機に白いハンカチ振って別れ告げ乗員7名とともに自爆した中国側資料では、梅林機を撃墜したのは第5大隊大隊長馬庭であったとみられる句容爆撃隊でも第3大隊17中隊および第5大隊28中隊迎撃で2機が撃墜され新田少佐以下15名が犠牲となった同日第一連合航空隊司令官戸塚道太郎少将戦闘詳報の中で「陸攻隊の強襲は、往年の二〇三高地旅順攻囲戦)の強襲等し心境敢行した」と述べている。 死後、その散り際見事さ戦場美談として伝えられた。当時顕彰歌として「その名も薫る梅林」と歌う『あゝ梅林中尉』(下記)が作られたほか、浪曲を含む各種媒体取り上げられた。また、1939年には北村西望指導のもと、梅林戦没者7点胸像石原昂ら7人の彫刻家報国芸術会」によって制作され3月19日遊就館献納されている。 顕彰歌 『あゝ梅林中尉』 (日本コロムビア 1937年10月25日発売作詞西條八十 作曲江口夜詩 歌:霧島昇コロムビア合唱団 朗読梅林大尉遺言』(日本コロムビア朗読福井銀城 詩吟壮烈梅林大尉』※上記B面和歌本宮三香、漢詩湯沢天真二部からなる。 歌:福井銀城

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