流行の始まり
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「2015年韓国におけるMERSの流行」の記事における「流行の始まり」の解説
最初の感染者は、2015年4月29日から5月3日までバーレーンをはじめとする中東に出張後、5月4日に仁川国際空港を通じて帰国した68歳の男性である。11日に発症し、5月15日から17日の間に平沢聖母病院に入院し、20日にMERSと確定された。元々一つだった病室を二つに分割したことで排気口が8103号室のみにしか存在せず、初の感染者が入院していた8104号室には排気口が存在しなかった。当初、韓国防疫当局はWHOのガイドラインに基づき2m以内の密接接触者のみを監視対象としていたが、結果的には8階の滞在者に感染が広がった。
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流行の始まり
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「2014年の西アフリカエボラ出血熱流行」の記事における「流行の始まり」の解説
流行は、2013年12月にギニアで始まった。最初の感染者はゲケドゥに在住していた2歳の男児(12月6日に死亡)だとみられている。すぐに母親、姉(3歳)と祖母が死亡したが、誰もエボラだとは考えなかった。感染源としてはウイルスに汚染された果物を食べたこと、汚染された針で注射されたこと、野生のコウモリとの接触の可能性などが疑われるが明確な原因は不明である。またこの男児を含め、最初期の感染者の疑いがあるとされている人の居住県として、コナクリ(4名)、ゲケドゥ(4名)、マセンタ(英語版)(1名)、ダボラ(英語版)(1名)が挙げられている。 感染が始まった場所はより正確にはメリアンドゥ村で、最初の犠牲者である2歳男児がよく遊んでいた村にある大木の洞には、エボラの自然宿主であるコウモリが生息していた。このため、この木がグラウンド・ゼロ(発生源)と疑われている。後述のように、公衆衛生の遅れや現地の習慣のほか、呪術治療への信仰と外部から訪れる医療関係者への不信などが感染を広げた。 ギニア保健省は翌2014年3月20日に、2月9日に初の発症例が確認された正体不明の病気が36人で確認され、うち少なくとも23人が死亡したと発表した。その症状には発熱、下痢、嘔吐が含まれ、一部の患者には出血もみられると報告されており、ラッサ熱・黄熱・エボラ出血熱の症状に似ていた。3月22日にギニア政府は、フランスのリヨンにある研究所から病気がエボラ出血熱であるとの報告を受け、その時点での感染被疑者は80人、死亡者は59人だと発表した。ギニア保健省からの通告に基づき、WHOは3月23日に第1報を出した。 ギニア保健省の3月25日の報告では、ギニア南東部のゲケドゥ、マセンタ、ンゼレコレ、キシドゥグでの発生が伝えられている。その翌日、フランスリヨンのパスツール研究所は、それがザイール株であると発表した。ただし、その後の全遺伝子解析によって、それが新株であることが明らかになっている。ギニアの首都コナクリでも感染が見つかった。NGOプラン・ギニアのイブラヒマ・トゥーレは「コナクリの大部分の人々は貧しく、水と公衆衛生が不足しているため、流行が急速に拡大する危険がある。水が不足しているため、手も洗えません」と述べている。また、西アフリカには葬儀で遺体に触れて哀悼するという習慣があり、これがエボラ流行の原因の一つになっているという指摘もある。
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