いけのぼう 【池坊】
池坊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/26 09:42 UTC 版)
池坊(いけのぼう)は、日本の華道家元。いけばなの根源。“流”は付かない。最古かつ最大の会員数を誇る。紫雲山頂法寺(京都市中京区、通称六角堂)の住職が家元を兼ねる。池坊の名称は、聖徳太子が沐浴した池に由来している。
- ^ 『大衆人事録 近畿篇』(帝国秘密探偵社、1940年)p.8
- ^ 『新撰大人名辞典』平凡社, 1937年
- ^ 伯爵油小路隆成『現代華族譜要』 維新史料編纂会編、日本史籍協会、1929
- ^ “花きの振興に関する法律が成立しました”. 農林水産省. 2015年6月19日閲覧。
- ^ “京都「嵯峨野の竹林と紅葉」など池坊花逍遥100選認定”. 産経ニュース産経新聞社. 2015年6月19日閲覧。
池坊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 09:34 UTC 版)
この寺の本堂である六角堂は寺内塔頭で、頂法寺の本坊にあたる池坊が執行として代々経営・管理に当たってきた。聖徳太子の命により小野妹子が入道し仏前に花を供えたことが華道の由来とされ、その寺坊が池のほとりにあったことから「池坊」と呼ばれている。ただし、前述の縁起類には、聖徳太子が沐浴した池にちなんで寺坊を「池坊」と号したことと、小野妹子を寺主としたことは述べられているが、妹子と華道の関係については述べていない。小野妹子を華道の道祖とするのは、史料で知られる限りでは近世以降のことである。 池坊の僧は、頂法寺の住持として本尊の如意輪観音に花を供えることとなっており、花の生け方に別格の妙技を見せることで評判となっていたことが15世紀の記録に残されている。文明年間(1469年 - 1486年)に池坊12世専慶が立花(たてばな)の名手として知られ、ここから池坊としての立花が生じ、天文年間(1532年 - 1555年)には、池坊13世専応が度々宮中に招かれて花を立て、また「池坊専応口伝」を表して立花の理論と技術を初めて総合的に体系化した。 現在は華道家元「池坊」の本部ビル・池坊会館があり、その3階には「いけばな資料館」がある。
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