横綱昇進~大鵬の難敵としてとは? わかりやすく解説

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横綱昇進~大鵬の難敵として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 10:08 UTC 版)

栃ノ海晃嘉」の記事における「横綱昇進~大鵬の難敵として」の解説

1963年11月場所では大鵬幸喜柏戸剛なで斬りにし、14勝1敗で二度目優勝成し遂げた。この場所14日目の大鵬戦では低く当たって差し、右から絞ってもろ差しを果たすと、両差し手を返して大きくなり、がぶって一気寄り立てた。両上手を取れない大鵬剣ヶ峰右小手投げを打つと、栃ノ海が右ハズ、左を返して体ごとぶつけるようにして寄り切った1964年1月場所13勝2敗の好成績挙げ横綱昇進先陣争いと言われ佐田の山豊山勝男先行して場所後の横綱昇進果たした。しかし、この場所は優勝した大鵬15全勝次点東前13目の清國勝雄14勝1敗で続いており、昇進直前場所が優勝次点すらない成績での昇進疑問の声もあった。理事会横綱審議委員会においても「小兵横綱務めるのは困難」との意見多数出たものの、春日野栃ノ海強く推薦したことで昇進繋がった。しかし、その外部の声は春日野にも届いており、「もう、あとは『引退』だけだよ。ダメならすぐ辞めなきゃいけないんだよ」と言い渡し栃ノ海昇進決めた直後だったにも関わらず引導を渡されたように感じたという。これには、春日野横綱昇進した当日も、先代春日野から「今日から毎日辞める時の事を考えて過ごすように。『横綱』とは桜の花の散る如く引退するものの、追い詰められ引退するものでは無い」と言われ浮ついた気持ち一気引き締まった語っている。昇進時の口上は「謹んでお受けいたします」のみで、横綱2場所目の1964年5月場所では、千秋楽大鵬との対戦制して13勝2敗で3度目優勝果たしたが、同場所が栃ノ海にとって最後優勝となったその後栃ノ海椎間板ヘルニア発症して坐骨神経痛となって著し不調に陥り、3場所連続で8勝7敗に終わったことから「ハチナナ横綱」と揶揄されるなど苦渋味わったその後回復して10勝5敗の成績挙げるが、今度右上腕の筋肉断裂するアクシデントにも見舞われた。これは患部見た目でもわかり(断裂部分がへこんでいる)、押せば肌が直接骨にあたるほどの重傷だった。これは力士として致命傷となり、出場する場所で毎回金星献上するなど厳し土俵続き1966年11月場所最後に現役引退表明した昇進当初は「私はあまり(身体が)大きくない。だからせめて、30歳までは現役務めたい」と目標立てていたが、引退時の年齢28歳8ヶ月で、当時横綱最年少引退記録作る結果となった全休所を除いた全ての場所で金星配給するという、歴代横綱唯一の不名誉な記録作ったが、大鵬にとってはかなりの難敵で、幕内での対戦成績大鵬16に対して栃ノ海7勝と健闘したほか、自身横綱在位中に3場所連続で8勝7敗の不名誉な成績だった間にも大鵬撃破したことがあるまた、幕下から十両にかけて栃ノ海大鵬当時四股名は「納谷」)にとってどうしても勝てない強敵で、幕下時代初め対戦してから大鵬新十両の場所まで4連勝していた(翌場所、大鵬初め花田勝った)。また、栃ノ海横綱土俵入りキビキビとしていて、相撲ぶりがよく表れており評価高かった

※この「横綱昇進~大鵬の難敵として」の解説は、「栃ノ海晃嘉」の解説の一部です。
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