栃ノ海晃嘉とは?

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栃ノ海晃嘉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/03/07 11:24 UTC 版)

栃ノ海 晃嘉(とちのうみ てるよし、1938年昭和13年)3月13日 - )は、青森県南津軽郡光田寺村(現在の田舎館村)出身で春日野部屋所属の元大相撲力士、第49代横綱。身長177cm、体重110kg。本名は花田茂廣(はなだ しげひろ)。花田という苗字で同じ青森津軽地方出身であるが、初代若乃花とは血縁は一切ない。年寄春日野時代、姓を『宮古』とするが停年(定年)退職後は再び花田に戻した。

目次

来歴

1955年(昭和30年)8月、千代の山栃錦一行が青森県大鰐町を訪れた際、既に春日野部屋(師匠は第27代横綱・栃木山)に入門していた中学時代の同級生・須藤良一(後の前頭一乃矢)に出会い力士への憧れが募った。直ちに若者頭・津軽海と栃錦を通して春日野部屋を紹介してもらい、弘前商業高校(現・弘前実業高校)を3年生の夏で中退して春日野部屋に入門。同年9月場所、本名の「花田」で初土俵を踏んだ。ちなみに高校時代は2年生まで野球部で4番を打ち、3年生から相撲部に転部したという。

1960年(昭和35年)3月場所で新入幕を果たすが、勝ち越しは記録できず2場所で陥落。同年9月場所、四股名を「栃ノ海」と改めて再入幕し、10勝5敗の好成績を挙げた。1961年(昭和36年)5月場所では朝潮から金星を挙げ、翌7月場所では小結に昇進し11勝を挙げ、翌場所関脇に昇進してからは関脇の座を譲らなかった。1962年(昭和37年)5月場所では横綱・柏戸に敗れたのみの14勝1敗で初の幕内最高優勝を果たし、13勝2敗の兄弟子・栃光と一緒に場所後、大関に昇進した(この場所は同門の新大関・佐田の山も13勝。さらに12日目から栃光→栃ノ海→佐田の山の順で大鵬を破り、出羽一門総掛かりで大鵬を崩した)。

1963年(昭和38年)11月場所では大鵬と柏戸をなで斬りして14勝1敗で2度目の優勝を成し遂げ、翌1964年1月場所、13勝2敗を挙げて当時横綱先陣争いといわれた佐田の山や豊山に先行して場所後横綱に昇進。しかしこの1月場所は優勝者大鵬(15戦全勝)、次点東前頭13枚目清國(14勝1敗)であり、昇進直前場所が優勝同点でも次点でもない成績での横綱昇進には疑問の声もあった。

横綱2場所目の1964年5月場所では、13勝2敗で3度目の優勝(結局、これが最後の優勝となる)を果たした。ところがその後、椎間板ヘルニアを発症して坐骨神経痛となり、さらには右腕筋肉の断裂というアクシデントにも見舞われた。これは、患部が見た目でもわかり押せば肌が直接骨に当たるほどの重傷で、力士としての致命傷になってしまった。以後は3場所連続8勝7敗を記録し「ハチナナ横綱」と揶揄されたり、毎場所ごとに金星を献上するなど厳しい土俵が続き、結局本格的な再起は果たせず1966年(昭和41年)11月場所7日目を最後に引退。引退時の年齢は28歳8ヶ月で、当時の横綱最年少引退記録を作る結果となってしまった。

横綱としては満足な成績を残せなかったが、大鵬にとってはかなりの強敵で、幕内での対戦成績は大鵬16勝に対して栃ノ海7勝と健闘。また、幕下から十両にかけて栃ノ海(当時、花田)は大鵬(当時、納谷)にとってどうしても勝てない強敵だった。前捌きが巧く、両前褌を取って拝むように寄り進む型や左差し右押っつけの型の鋭さ、出し投げや切り返しなどの技の切れ味、いずれも超一級品の技能だった。自ら「入るときは小さく、入ったら大きく」と解説するような、もろ差しになるときの鮮やかさもまた素晴らしかった。激しい廻し争いを物語るように両手の指先はたこでカチカチになっていたという。横綱土俵入りはキビキビとしていて、相撲ぶりがよく表れており評価は高かった。そうした技能と小兵ゆえのハンディのために腰に負担がかかったのではという見方もあるが、故障さえなければと惜しまれた。

引退後、大鵬や柏戸、豊山らかつてのライバル達が部屋持ち親方となる中で、年寄・中立として春日野部屋(第44代横綱・栃錦)の部屋付き親方であり続けた。栃錦停年後の後継も内定していたが、栃錦の停年目前の急逝で1990年平成2年)、春日野部屋を急遽継承。この時、栃錦子飼いの筆頭弟子である玉ノ井親方(元関脇・栃東)との間に確執が生じたとも言われる。還暦を無事迎え現在は協会を停年退職しているが、還暦土俵入りは行わず赤い綱だけをもらっている。原因は前述の負傷の後遺症のためであるという。相撲解説もまた一級品で、受け答えを一度も外す事がなかった。

横綱として不成績だったことで評価を落としてしまったが、こと技能に関しては栃錦以上、と再評価を望む声は多い。また、引退後の審判委員としての説明も明快であった。

若乃花勝と同年齢の長男も春日野部屋へ1986年(昭和61年)3月に入門し、「日の出海」という四股名で「栃ノ海2世」を目指したが、序二段が最高位で関取になれずに廃業した。

主な成績

  • 幕内通算成績:315勝181敗104休 勝率.635
  • 横綱通算成績:102勝69敗84休 勝率.596
  • 幕内在位:40場所
  • 三役在位:6場所(関脇5場所、小結1場所)
  • 大関在位:10場所
  • 横綱在位:17場所
  • 幕内最高優勝:3回(1962年5月場所、1963年11月場所、1964年5月場所)
  • 三賞:7回(敢闘賞1回、技能賞6回)
  • 金星:1個(朝潮)
  • 各段優勝:十両1回(1960年7月場所)、幕下1回(1958年7月場所)

幕内での場所別成績

栃ノ海晃嘉[1]

一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1960年
(昭和35年)
x 西 前頭 #15
7–8
 
東 前頭 #17
5–10
 
(十両) 東 前頭 #14
10–5
 
東 前頭 #8
11–4
1961年
(昭和36年)

休場
0–0–15
東 前頭 #11
9–6
 
東 前頭 #5
10–5
東 小結
11–4
東 関脇
8–7
 
東 関脇
9–6
1962年
(昭和37年)
東 関脇
9–6
西 関脇
9–6
 
西 関脇
14–1
東 張出大関
9–6
 
東 張出大関
10–5
 
西 張出大関
9–6
 
1963年
(昭和38年)
東 張出大関
9–6
 
西 張出大関
8–2–5[2]
 
西 大関
10–5
 
東 張出大関
8–7
 
東 張出大関
11–4
 
西 大関
14–1
 
1964年
(昭和39年)
東 大関
13–2
 
東 張出横綱
10–5
 
東 張出横綱
13–2
 
東 横綱
11–4
 
東 横綱
9–6
 
西 横綱
0–3–12[2]
 
1965年
(昭和40年)
東 張出横綱
8–7
 
東 張出横綱
8–7
 
東 張出横綱
8–7
 
西 張出横綱
7–4–4[2]
 
西 張出横綱
10–5
 
西 張出横綱
5–6–4[2]
 
1966年
(昭和41年)

休場
0–0–15
西 張出横綱
10–5
 
東 張出横綱
1–3–11[2]
 

休場
0–0–15

休場
0–0–15
西 張出横綱
引退
2–5–0
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下

三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口

幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

  • 花田 茂廣(はなだ しげひろ)1955年9月場所-1956年9月場所
  • 花田 茂宏(- しげひろ)1957年1月場所
  • 花田 茂廣(- しげひろ)1957年3月場所
  • 花田 茂広(- しげひろ)1957年5月場所-1958年1月場所
  • 花田 茂宏(- しげひろ)1958年3月場所
  • 花田 茂広(- しげひろ)1958年5月場所-1959年9月場所
  • 花田 茂廣(- しげひろ)1959年11月場所-1960年7月場所
  • 栃ノ海 晃嘉(とちのうみ てるよし)1960年9月場所-1966年11月場所

年寄変遷

  • 栃ノ海 晃嘉(とちのうみ てるよし)1966年11月-1967年2月(一代年寄
  • 中立 晃嘉(なかだち -)1967年2月-1967年3月
  • 中立 大嗣(- ひろつぐ)1967年3月-1990年1月
  • 春日野 大嗣(かすがの -)1990年1月-1990年3月
  • 春日野 晃将(- てるまさ)1990年3月-2003年2月
  • 竹縄 晃将(たけなわ -)2003年2月-2003年3月

脚注

  1. ^ "Tochinoumi Teruyoshi Rikishi Information" (English). Sumo Reference. 2007-07-24 閲覧。
  2. ^ a b c d e 途中休場

関連項目





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