検察側論告とは? わかりやすく解説

検察側論告

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 05:18 UTC 版)

小笛事件」の記事における「検察側論告」の解説

上の多様な鑑定書提出された後、検察側は同月19日開かれた第3回公判において、検察側による論告求刑が行われた。 検察側はまず、事件前日夕食時刻について、広川予審半ばまで一貫して19時頃であると述べていたものを、小南鑑定出され後になって20時半頃と変更した不自然さ指摘した6月30日広川が小笛に出したとされる手紙についても、今までほとんど小笛に手紙など書かず、「小笛が神戸来ては困るので自分京都出向いている」と公言していたはずの広川が、「皆さんお誘ひの上お遊び御出で下さい須磨御案内致します」などと書いている点からしても、偽装工作であることは明らかとした。 小笛の死因自殺とした三田鑑定については、同月九大法医学教室開かれた法医学会でこの問題議論対象となったが、誰一人として三田主張賛同する者はいなかった、としてその信頼性否定した実際には、この学会には草刈出席していたが、草刈裁判中事件について論評することをよしとせず、他殺説にあえて反論しなかった)。そして、小笛は共に情死するという広川言葉信じたがために、ほとんど抵抗することなく殺害されのである、とした。 他の3人の犠牲者についても、やはり全員広川によって殺害されたとした。Aについては、上掲遺書で小笛が広川殺害依頼している反面、他の遺書には「ニモツヲトツテキテ〔A〕ニヤツテクダサイ」などと、Aの生存念頭に置いた記述がある点を指摘した注参照)。検察側は、後者こそ最後に書かれた小笛の本心であり、小笛にはAを殺害する意思はなかったと主張した。そして、Aの寝床散らばった広川名刺が、広川犯行指し示している、と論告した。 以上の論告に基づき検察側は、広川が小笛と情死約束する至った経緯には酌むべき事情があるものの、他の3人の殺害については何ら同情余地はないとして広川死刑求刑した

※この「検察側論告」の解説は、「小笛事件」の解説の一部です。
「検察側論告」を含む「小笛事件」の記事については、「小笛事件」の概要を参照ください。


検察側論告

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 10:09 UTC 版)

アルベルト・シュペーア」の記事における「検察側論告」の解説

裁判1945年11月20日から開始された。シュペーア法廷での席は後列右から3番目だった(左隣はザイス=インクヴァルト、右隣はフォン・ノイラート)。 ギルバート回顧によれば検察法廷上映した強制収容所でのユダヤ人虐殺記録映像シュペーアはごくりと唾を飲み込んでいたという(一方ゲーリングは退屈そうに欠伸していたという)。 1946年1月3日には検察証人として出廷したオットー・オーレンドルフに対してシュペーア弁護士エゴン・クブショクが反対尋問行った。クブショクが「シュペーアヒトラー焦土作戦阻止するために行動していたことを知っていますか」と質問すると、オーレンドルフは「知っています」と答えた。ついで「終戦時シュペーアヒムラー連合国引き渡そう考えていたことは知っていますか」と質問するオーレンドルフは「そんな話は一度聞いたことがありません」と答えた。さらに「1944年7月20日ヒトラー暗殺謀った者たちが政府シュペーア加えようとしていたことを知っていますか?」という質問オーレンドルフは「それは知っています」と答えた。そして衝撃呼んだのが次の質問だった。「シュペーア戦争末期ヒトラー暗殺計画していたことを証人ご存知ですか?」。法廷内にどよめき広がり被告席のゲーリングシュペーア睨んだオーレンドルフは「そのような計画聞いたことがありません」と答えた。ここで休廷となったが、激怒したゲーリングシュペーア方に詰め寄り、「なんだってあんな反逆的な事を暴露した被告人全体共同戦線崩れではないか!」と非難したシュペーアは「共同戦線ですって!?と言ってゲーリング突き放した独房戻ったゲーリングは「この嫌な世の中にも名誉というものがある。ヒトラー暗殺だと!全くいい加減にしてもらいたいよ。私は穴があったら入りたいぐらいだった。私ならたとえ犯罪者ヒムラーであろうと敵に売り渡そうとは思わない。」と怒り心頭だった。翌日昼食でもゲーリングは「敵が我々に対して何をしようと私は気にしない。だが同じドイツ人同士互いに裏切るのを見ると胸糞悪い」と怒り露わにし、顎でシュペーア指しながら「あの阿呆そのこと話してこい!」とフォン・シーラッハに命じた。シーラッハはシュペーアところへ行き、「貴方がドイツ名誉に傷をつけていることをゲーリング怒っている」と告げたが、シュペーアは「ゲーリングヒトラーが全ドイツ人破滅導いている時にこそ怒るべきだったドイツナンバーツーとして彼は手段講じる義務があった。しかし彼はヒトラーに対して何もできない臆病者だった。すべきことをしないでモルヒネ溺れ、全ヨーロッパから美術品略奪していただけの男が私を非難する資格などない」と反論した以来ゲーリングシュペーア不倶戴天の敵となったゲーリングシュペーアを全被告から孤立させようとしたが、シュペーア逆にゲーリング被告人統一戦線破壊目指した。刑務所心理分析グスタフ・ギルバート大尉に「被告人一緒に食事散歩をするのはいい考えではありませんね。こんなことを許しているからゲーリング叱咤激励し被告人統一行動とらせることができるのです。」と告げ口し刑務所長バートン・アンドラスにその件を報告させた。この結果ゲーリング2月18日から一人食事させられることになった自分証言台に立つ日が近づくシュペーア自分反対尋問をするアメリカ次席検事トーマス・ドッド(英語版)に次のように語った。「ゲーリング自分争ってます。ゲーリング喧嘩腰検察反抗する側の代表、自分ナチスの罪を認める側を代表しているわけです。ゲーリング反対尋問をしたのは主席検事ジャクソンでしたが、私に対して彼の部下である貴方が反対尋問を行うそうですね。貴方には大変失礼ですが、この差を他の被告人が見逃すでしょうか。彼らの目には私がゲーリングより劣っている映り、彼らを私の方に引き入れるのが一層困難になるのではないでしょうか」。ドッドはこれをジャクソン報告しその結果シュペーア質問ジャクソンが行うことになったドッドジャクソンより有能な検事評判だったのでシュペーアゲーリングとの対立利用してジャクソン変更させたのではないか噂された。

※この「検察側論告」の解説は、「アルベルト・シュペーア」の解説の一部です。
「検察側論告」を含む「アルベルト・シュペーア」の記事については、「アルベルト・シュペーア」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「検察側論告」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「検察側論告」の関連用語

検察側論告のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



検察側論告のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの小笛事件 (改訂履歴)、アルベルト・シュペーア (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS