東邦丸・初代とは? わかりやすく解説

東邦丸・初代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/11 09:12 UTC 版)

東邦丸」の記事における「東邦丸・初代」の解説

飯野商事飯野商会時代1902年明治35年以降日本海軍向けの燃料人員提供を請け負っていた。大正時代後半からは海軍向けの石油輸送業務も手がけ、特務艦野間」の払い下げなどを受けてタンカー運航幅広く行うようになった1929年6月公布された優秀油槽船保護政策飯野商事にとってよい機会となり、1934年昭和9年竣工の「富士山丸」(初代)(9,527トン)を皮切りに、「東亜丸」(10,052トン)、「極東丸」(10,051トン)と大型タンカー次々と整備していった。初代の「東邦丸」は第一次船舶改善助成施設により建造された「東亜丸」と「極東丸」とは違い飯野商事自己資金調達船として川崎造船所発注され1936年昭和11年12月24日竣工竣工後は姉妹船とともにアメリカ西海岸からの石油輸送従事した1941年昭和16年8月20日付で日本海軍に徴傭され、1ヵ月後の9月20日付で特設運送船給油)として入籍し同日から10月3日まで三菱横浜造船所艤装工事が行われた。「日本丸」(山下汽船、9,971トン)、「東栄丸」(日東汽船10,020トンとともに連合艦隊属して第二補給隊編成宿毛湾などでの猛訓練の後、第一航空艦隊南雲忠一中将海軍兵学校36期)に編入され択捉島単冠湾から出港し真珠湾攻撃参加した1942年昭和17年)に入ると、第一機動部隊との行動のほかにMO機動部隊高木武雄少将海兵39期)の補給部隊として行動する4月30日トラック諸島出撃して会合点に向かった後、ショートランド会合点の間を何度か行来しつつMO機動部隊艦艇への補給行ったMO機動部隊珊瑚海海戦戦って戦術的に勝利したものの、損害大きさポートモレスビー攻略という当初作戦目標放棄せざるを得なかった。5月16日、「東邦丸」は一連の支援終えてトラック帰投した。横須賀回航された後、再び第一航空艦隊補給部隊配属されミッドウェー海戦参加ミッドウェー海戦敗れた後は北方部隊転じて第二機動部隊角田覚治少将海兵39期)の補給部隊となる。第二次ソロモン海戦にも参加して、「東栄丸」とともに第三艦隊南雲忠一中将)への補給行ったその後南方産油地と日本海軍拠点との間の燃料輸送従事した1943年昭和18年3月29日未明昭南シンガポール)に向かうためマカッサル海峡を単船で南下中の「東邦丸」は、北緯000000東経1181830秒 / 北緯0.00000度 東経118.30833度 / 0.00000; 118.30833の地点差し掛かった所で、アメリカ潜水艦「ガジョン」 (USS Gudgeon, SS-211) に発見される。「東邦丸」は2門の備砲をもって浮上したままの「ガジョン」に対して先制攻撃行い砲弾は「ガジョン」からわずか50ヤード離れたところに少なくとも2発は落下した記録された。2時33分、「ガジョン」は浮上したまま魚雷3本発射した後、間もなく潜航し様子うかがった。やがて2本の魚雷命中して東邦丸」は航行不能となるも、沈む気配見せなかった。1時間後、「ガジョン」は4本目魚雷発射して船橋下に命中させたが、「東邦丸」の様子はさほど変わらなかった。そこで、二度目攻撃から約30分後に5本目魚雷発射して命中させ、「ガジョン」が浮上してから15分後に「東邦丸」は沈没した5月1日除籍および解傭

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