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すぎた-げんぱく 【杉田玄白】
江戸人物事典 |
杉田 玄白 (すぎた げんぱく)
| 1733〜1817 (享保18年〜文化14年) |
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【蘭方医】 『ターヘルアナトミア』を、4年の苦心の末に翻訳。『解体新書』を世に出した。 |
| 蘭方医。小浜藩医。山脇東洋の解剖観察に触発され、西洋の外科技術に興味を持つ。江戸小塚原の死刑囚の腑分け(解剖)の経験により、前野良沢らと『ターヘルアナトミア』を『解体新書』として4年をかけて訳述した。その苦心の回想録として『蘭学事始』がある。 |
年(和暦) |
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| ●1742年 (寛保2年) | ■公事方御定書制定 | 9才 |
| ●1744年 (延享元年) | ■神田に天文台設置 | 11才 |
| ●1764年 (明和元年) | ■江戸大火 | 31才 |
| ●1772年 (安永元年) | ■目黒行人坂火事 | 39才 |
| ●1783年 (天明3年) | ■浅間山噴火 | 50才 |
| ●1789年 (寛政元年) | ■棄捐令 | 56才 |
| ●1790年 (寛政2年) | ■石川島に人足寄場を設置 | 57才 |
| ●1791年 (寛政3年) | ■江戸市中銭湯の男女混浴を禁止 | 58才 |
| ●1797年 (寛政9年) | ■湯島聖堂を昌平坂学問所と改称 | 64才 |
| ●1803年 (享和3年) | ■江戸開府200年 | 70才 |
| ●1806年 (文化3年) | ■芝の大火 | 73才 |
| ●1808年 (文化5年) | ■フェートン号事件 | 75才 |
人物名 |
年齢差 |
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| ・平賀 源内 | 1728年〜1779年 (享保13年〜安永8年) | +5 |
| ・中川 淳庵 | 1739年〜1786年 (元文4年〜天明6年) | -6 |
ウィキペディア |
杉田玄白
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/22 00:36 UTC 版)
杉田 玄白(すぎた げんぱく、享保18年9月13日(1733年10月20日) - 文化14年4月17日(1817年6月1日))は、江戸時代の蘭学医。若狭国小浜藩(福井県)医。私塾天真楼を主催。父は杉田玄甫、母は八尾氏の娘。諱は翼(たすく)、字は子鳳、号は鷧、晩年に九幸翁。
杉田氏は近江源氏である佐々木氏の支族である真野氏の家系。後北条氏に仕えた真野信安のときに間宮姓に改め、子の長安の代に復姓。医家としては、玄白で3代目にあたる。同時代に活躍し、間宮海峡にその名を残す探検家である間宮林蔵は同族である[要出典]。
- ^ 青柳精一『診療報酬の歴史』思文閣出版、1996年、ISBN 978-4-7842-0896-8 P155-160
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