まえの‐りょうたく〔まへのリヤウタク〕【前野良沢】
前野良沢
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前野 良沢(まえの りょうたく、享保8年(1723年) - 享和3年10月17日(1803年11月30日))は、豊前国中津藩(現在の大分県中津市)の藩医で蘭学者、のち江戸幕府の幕臣。『解体新書』の主幹翻訳者。良沢は通称で、姓に源を用いることもあった。諱は熹(よみす)で、「余実寿」「Jomis」と自著することもある。字は子悦、号は楽山、のちに蘭化。
- ^ 諸澄邦彦 「東京の医跡Part2(杉田玄白と前野良沢の墓)」
- ^ 中津藩は分限帳がしっかり残っていないためどちらかは不明(鳥居(2013,2015)pp.21-25。
- ^ 昆陽に入門した時期は幾つか説があるが、前後の経過から推測して『蘭学事始』にある「宝暦末、明の初年」が正しいと考えられている。(鳥居2013,2015)pp.26-29。
- ^ van Henricus Buysen"Practyk der medicine" (1729、3版)[1]2013年3月26日閲覧。吉雄耕牛の口述をまとめた『因液発備』がBuysenの著作の翻訳とされるが原本については良くわかっておらず、良沢との関係・貢献は不明である。
- ^ 高橋至時宛間重富の書簡(鳥居(2013,2015)p.250。
- ^ 鳥井(2013,2015)p.266。
- ^ 鳥井(2013,2015)pp.274-276
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