日学同と「楯の会」の間でとは? わかりやすく解説

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日学同と「楯の会」の間で

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 02:31 UTC 版)

森田必勝」の記事における「日学同と「楯の会」の間で」の解説

1968年昭和43年4月早大3年生となった必勝早大国防部部長選出され多忙となった同年5月3日から5日に、民族派学生組織初の理論合宿学生文化フォーラム」が八王子大学セミナーハウス行われた。この合宿は約70人が集まり林房雄三島由紀夫村松剛シンポジウム開かれた必勝はこの合宿での幹部自己紹介で、「ぼくは、国のために死にたい思いますと言い一同度肝抜いた。この合宿必勝親しくなった小川正洋明治学院大学法学部2年)は、三島が「右翼理論ではなく心情だ」と発言したことに感動した同年6月15日、「全日本学生国防会議」が結成され必勝初代議長就任した必勝議長になると日学同から伝え聞いた三島祝辞快諾し市ヶ谷私学会館での結成大会万歳三唱した。閉会後行われたデモ行進靖国神社から麻布狸穴町ソ連大使館まで)でも、三島はわざわざタクシー随伴して、窓から必勝笑顔で手を振って激励して帰っていった。翌日6月16日には、一橋大学小平キャンパス行なわれ三島ティーチ・イン(「国家革新原理――学生とのティーチ・イン」)を見に行き昨日お礼三島述べた同年6月23日必勝早大国防部メンバー逗子海岸海水浴行った沖合小島まで6キロ泳いだ休憩の時、田中健一亜細亜大学法学部)が、「ノサップから貝殻島まで、あれぐらいの距離だろうな」と言ったことから、8月上旬北方領土視察返還運動の際に、貝殻島までの3.7キロ泳いで上陸し日章旗立て決死作戦必勝考えた遠泳作戦志願者必勝遠藤秀明(早大商学部1年)の2人けだった結局水温低さ決行は無理となり、地元漁船盗んで渡っていく作戦挫折し失敗してしまったが、必勝水晶島駐在するソ連監視船に銃殺されるか、あるいは拿捕され長期抑留になるのを覚悟臨み、「どうせ国に捧げた命だ。少しでも祖国歴史先覚役割担いたい」と別れの盃を仲間たち交わしたあのとき森田はかつての特攻隊員恋人や親たちと別れるような、言葉では言い尽くせないほど純真清潔な人間が死を決意したときに見せ引き締まった顔を見せた決死隊残留部隊緊張感張りさけそうな気持ち抑えて、涙とともに別れた。 — 宮崎正弘三島由紀夫以後』」 同年8月15日必勝靖国神社参拝し、「靖国完徹全国大会」に学生代表として出席した8月20日には、ソ連によるチェコスロバキア進攻チェコ事件)に抗議するため、ソ連大使館前で座り込みをし、北方領土返還訴えた同年9月以降日学同論争ジャーナル組との橋渡しであった必勝は、次第銀座論争ジャーナル事務所方に頻繁に出かけるようになった10月3日都庁前日学同集会護憲条例案を出した日本社会党への抗議)の時も午前中退出し早大「尚史会」(元・日本文研究会主宰ティーチ・イン顔を出し三島講演聞き行った。「尚史会」は日学同除籍され持丸博伊藤好雄、阿部勉らのグループであった一方この頃三島「祖国防衛隊」構想に、民間企業団体経団連)の支援協力得られないこととなり、防衛隊の名称を「楯の会」と変え結成式が10月5日虎ノ門国立教育会館開かれた。この結成式には、三島初代学生長・持丸博、中核会員50名が参列し日学同からの特使必勝山本之聞ら5名も制服支給され参加した同年10月21日三島必勝楯の会会員山本舜勝1佐と陸上自衛隊調査学校学生らは、国際反戦デー左翼デモ新宿騒乱)の状況把握するため、デモ隊中に潜入し組織リーダー誰かなどを調査した三島は、これから左翼デモにおける自衛隊治安出動可能性と、その援護、魁となる斬り込み隊となる楯の会今後行動計画憲法改正自衛隊国軍化への期待膨らませた。 同年11月日学同中央執行委員兼任した必勝論文民族運動起爆剤志向」が収録された『日本及日本人』が刊行され、その論文読売新聞大島康正論壇時評紹介された。無邪気に喜んだ必勝はこの記事コピー三島送り12月7日予定されている日学同結成2周年大会記念講演三島宅に依頼行った三島先生日学同のいろんいきさつ無視して、「お前が、実行委員長ら行くよ」と言われる感激歓談途中長男の威一郎君が木刀斬りつけてきたのには閉口した。 — 森田必勝昭和43年11月某日同年12月7日九段千代田公会堂日学同結成2周年大会開かれた散会の後、日学同メンバー高田馬場飲み会流れていったが、必勝と、その親し仲間田中健一小川正洋野田隆史(麻布獣医科大学3年)、鶴見友昭(早大1年)、西尾俊一国士舘大学1年)らは1時間退席し三島合流していった。 必勝は、楯の会活動重点を置くようになり、12月21日山本舜勝1佐が楯の会指導員としてゲリラ戦講義をした際、休憩中に、「日本でいちばん悪い奴は誰でしょう? 誰を殺せば日本のためにもっともいいのでしょうか?」と山本1佐に訊ねたという。山本1佐は、「死ぬ覚悟なければ人は殺せない。私にはまだ真の敵見えていない」と答えた

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