結成大会とは? わかりやすく解説

結成大会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/22 01:56 UTC 版)

青少年育成国民会議」の記事における「結成大会」の解説

1966年(昭和41年)、「国民会議」は中青協改組とほぼ時を同じくして発足した同年総理府に「青年局」が設置され4月に中青協は、総理大臣諮問機関である「青少年問題審議会」(青少審)へ改組された。 その翌月5月には、総理府後ろ盾として青少年育成国民会議設置された。これ以後、青少審と「国民会議」が政府による青少年問題対策両輪になった。 「国民会議」は、全国青少年育成団体PTA婦人団体教化団体など結集し、それに国や都道府県条例担当者協力する形で作られた。構成団体には、日本書籍協会日本雑誌協会日本新聞協会なども加わり全部二百五十あまりであった。 「国民会議」の結成大会は、1966年(昭和41年)5月27日午後サンケイホール開催された。参加者千五百人、来賓佐藤栄作首相総務長官自治大臣文部大臣などが呼ばれた。この時の佐藤来賓挨拶次のようなものである明治維新大業は、明治青年たちによってなしとげられたといって過言ではないと思います明治時代と今の時代同一に論じ得ないにしても今日青少年諸君明日日本日本を築くための大行進の先頭にたつことが期待されるであります一部青少年の間には、行きす過ぎやあやまち犯す者も少なくありません、しかし、私は、今日青少年諸君時代託すことに、いささかの不安もありません。 私は、かねてから次代を担う青少年健全に育成することは、国家社会課せられた重大な責務であり、国政基本である」と考えておりますが、青少年育成国民会議発足を大変力強く感ずとともに今後の活動期して待つべきものがあると存じます。 政府といたしましても、青少年の健全育成に対してあらゆる努力援助惜しまないことを明らかにいたします。 「国民会議」の初代会長茅誠司(元東京大学総長)である。は結成大会であいさつ文化創造し世界貢献できる人づくり」をして、次のように述べた。 (二年後の)一九六八年は明治百年にあたります。日本はほぼ百年前に国を開いたわけですが(中略)、これから百年は、ただ単に外国文化吸収し咀嚼するだけでは足りない思いますそれだけなら、進展する世界から取り残され落伍者になるのではないか思います日本文化創造しつつ世界進歩貢献し世界とともに歩むという基本方針確立する、その大業を担うのが青少年である そのような重い責任自覚し誇りとして成人育っていくようにするのがこの会議の目的である。 事務局同年11月1日総理府内に開局されたあと、12月1日日本女子会館に移り1968年(昭和43年)2月1日今度オリンピック記念青少年総合センター移った以後事務局総合センターから動くことはなかった。社団法人認可は、結成翌年1967年(昭和42年)10月2日である。 さらに、「国民会議結成の後、各都道府県市町村都道府県民会議や市町村会議作られたが、その事務所は多く役所中に置かれた。このように民間団体としての顔は表面上の体裁にすぎず、「国民会議」やその支部は、実際に官製運動のための団体だったと言える以後市民団体市場出版物監視するという体裁のもとで、「国民会議」の関係者業界団体に対して自粛要請する場として、「国民会議」は機能するようになった

※この「結成大会」の解説は、「青少年育成国民会議」の解説の一部です。
「結成大会」を含む「青少年育成国民会議」の記事については、「青少年育成国民会議」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「結成大会」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「結成大会」の関連用語

結成大会のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



結成大会のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの青少年育成国民会議 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS