日学同――森田必勝との出会い
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「小川正洋」の記事における「日学同――森田必勝との出会い」の解説
1967年(昭和42年)3月に千葉県立船橋高等学校を卒業後、4月に明治学院大学法学部に進学した小川は、1968年(昭和43年)3月頃に「日本学生同盟」(日学同)に入り、5月に八王子の大学セミナーハウスで行われた理論合宿「学生文化フォーラム」で、森田必勝(早稲田大学教育学部)と親しくなった。 その合宿のシンポジウムに招かれた三島由紀夫が、「右翼は理論ではなく心情だ」と言った言葉に小川は感動した。6月には、森田らと共に「全日本学生国防会議」を組織し、10月から実家を離れて千葉市道場南町のアパートひかり荘に住むようになった。 1969年(昭和44年)2月、小川は森田と、田中健一(亜細亜大学法学部)、野田隆史(麻布獣医科大学)、鶴見友昭(早稲田大学)、西尾俊一(国士舘大学)と共に日学同を脱退した。田中の下宿先である新宿区十二社(西新宿4丁目)のアパート小林荘8号室をたまり場にしていた6名は「十二社グループ」と呼ばれた。 この「十二社グループ」に、森田の縁者の倉田賢司(立命館大学1年)も加えた7人で、政治結社「祖国防衛隊」(三島の祖国防衛隊〈楯の会の前身組織〉と同名)を結成し、小川は副隊長となった(隊長は森田)。
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