新日本プロレス - UWF - プロフェッショナルレスリング藤原組とは? わかりやすく解説

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新日本プロレス - UWF - プロフェッショナルレスリング藤原組

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 18:49 UTC 版)

船木誠勝」の記事における「新日本プロレス - UWF - プロフェッショナルレスリング藤原組」の解説

青森県南津軽郡尾上町(現平川市)生まれ1984年3月弘前大学教育学部附属中学校卒業し高校入学前日一度不合格であった新日本プロレスに入門同期武藤敬司蝶野正洋橋本真也野上彰(現:AKIRA)。 1985年3月3日ヤングライオン杯出場し北茨城市体育館後藤達俊デビュー戦を行う。ザ・グレート・カブキ16歳1ヵ月)の記録塗り替える当時史上最年少15歳11か月デビュー現在の最年少記録中嶋勝彦15歳9か月)。 1986年1月第1次UWF崩壊後新日本プロレスUターン参戦してきた藤原喜明師事し試合前のスパーリングパートナー務める。伸びのあるドロップキック武器前座戦線沸かせる新日本業務提携にあったUWF若手安生洋二中野龍雄組に、野上彰タッグ組んで臨んだ試合UWFスタイル新日本スタイル融合する試合となり前座名物カードとなった1987年2月ヤングライオン杯出場快進撃続けた橋本真也敗れリーグ戦敗退1987年3月堀辺正史の元で骨法学び始める。 1987年8月19日、「サマーナイトフィーバーイン国技館」で行われたIWGPジュニアヘビー級王座決定トーナメント出場1回戦小林邦昭対戦し善戦する11分1秒フィッシャーマンズスープレックスフォール負け1988年4月ヨーロッパ遠征出発オットー・ワンツCWA参加し4月から12月までの間、オーストリアドイツサーキットする。船木によれば、この遠征直前高田延彦山崎一夫2人船木送別会開き、その席で船木に「UWF再興」の意向伝え船木その場で新UWFへの参加決めたという。前田日明と神新二は遠征先を訪れUWF入団アプローチをしていた。1989年1月からイギリス渡り山田恵一と共に活躍する1989年4月10日海外遠征中に週刊プロレス誌上UWF移籍船木宣言船木将来嘱望し新日本残留説得試み船木曰く「再契約金1000万円、さらに試合ギャラ藤波辰爾長州力と同ランクとする」との提示受けたが、アントニオ猪木前田日明同時期にUWF移籍表明していた鈴木みのる交えた四者話し合いの末、新日本プロレス円満退社UWF移籍決定した。ただ猪木は「社長として義務合ったので引き留めた」ものの、個人的に当初から移籍認めるつもりだったという。 1989年5月4日第二次UWF1周年記念となる大阪球場大会で、共に新生UWFデビューとなる藤原喜明対戦する頭突き使った藤原が一旦反則負けになるが、船木希望試合続行されるヒザ十字固めで敗退1989年8月13日横浜アリーナ高田延彦対戦開始早々掌打膝蹴り連打高田からダウンを奪う。意識朦朧としながらなんとか立ち上がる高田だがファイティングポーズを取ることもできず、レフリーカウント9で止めKO10カウント入れなかった。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}のちにUWF疑惑の判定ナンバーワンとなる曰くつき試合となった[要出典]。結果両者ダウン応酬の末、高田バックドロップからのキャメルクラッチギブアップ勝ちした。 1989年9月7日、「U.W.F. FIGHTING BASE大会よりリングネーム本名から「船木誠勝」に改名1989年11月29日東京ドームにて「U-COSMOS開催UWF世界格闘家との異種格闘技戦目玉とし、船木対戦相手当時5年無敗キックボクシング世界王者モーリス・スミス予定されていたが、練習中に腕を骨折し代役として鈴木みのる抜擢される。しかし鈴木スミス幾度もダウン奪われ惨敗喫する1990年4月15日負傷による長期欠場からの復帰となった鈴木みのる戦ではレガース着用せず試合行いグラップリングのみの展開となった1990年5月4日日本武道館行われたUWF THE MEMORIAL」で前田日明と初対決船木はこの試合レガース着用せず、前田対し骨法流の掌底ボクシング仕込みパンチコンビネーション見せ前田ダウンさせるなど善戦したが、体力圧倒する前田後ろから抱え込んで片羽絞めタップアウト勝ち。試合後、しゃがみこむ船木前田耳元語りかけるシーン見られた。 1990年8月13日高田延彦前回同日同じ会場再戦フットワーク軽やか高田打撃パーフェクトディフェンスし全く寄せ付けず10分過ぎ、船木掌打連打から顔面への膝蹴り高田目尻深くカットしたためレフリーストップ事実上ノックアウト勝ちを収めた1990年12月第2次UWF解散に伴い藤原喜明鈴木みのるらと新UWF藤原組旗揚げ参加1992年4月19日東京体育館での藤原組旗揚げ一周年記念興行で、プロボクシング世界4階級制覇ロベルト・デュラン異種格闘技戦を行う。2ラウンドボディブローダウンしたが、3ラウンド捕まえ腕固め勝利1992年10月4日東京ドームWKA世界ヘビー級王者モーリス・スミス異種格闘技戦を行う。4Rダウン奪われたが判定により引き分け1992年12月格闘技的な路線志向し藤原組離脱藤原組離脱後は、どの団体にも所属せず、鈴木みのる高橋義生とともに練習重ねた

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