慰霊碑等
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福井県敦賀市松島町には、天狗党員353名が処刑後に埋葬された塚があり、「武田耕雲斎等墓」として国の史跡に指定されている。塚の近くには「水戸烈士追悼碑」や耕雲斎の像が建てられている。また、明治7年(1874年)には、刑死者353名に加え、戦死・戦病死者も合わせた411名の天狗党員を祀った松原神社が、市道を挟んで、塚の西側に建立され、毎年10月10日には例祭が行われている。さらに、昭和29年(1954年)には、天狗党員が監禁された鰊蔵が境内に移築され、水戸烈士記念館となっている。 昭和44年(1969年)、水戸市松本町に天狗党員を祀った回天神社が建立された。昭和32年(1957年)に敦賀市から水戸市常磐町の常磐神社に移築された鰊蔵が、平成元年(1989年)に回天神社境内に再移築され「回天館」として天狗党資料の展示が行われており、扉や板壁などには天狗党員の絶筆が残されている。 天狗党員の家族らが処刑された水戸赤沼牢跡には慰霊碑が建てられている。 茨城県ひたちなか市には那珂湊の戦いに関しての石碑等が多く存在し、鶴代地区には、部田野原での戦闘の戦死者を葬った「首塚」及びこれを供養した「忠勇戦士の墓」と「天狗党員墓」があり、三反田地区の百色山見本林には「天狗党百色山戦場供養碑」がある。中根堂山墓地には幕府側で戦った福島藩士を葬った「元治甲子乱戦死墓」があり、田彦地区には田彦宿の戦闘で戦死した宇都宮藩士9人を葬った「宇都宮藩士九人之墓」および役夫2人の「宇都宮藩役夫両人之墓」がある。また、天狗党本陣があった聴法寺には「筑波勢本陣跡」の碑が、和尚塚古墳には、部田野原での戦闘における天狗党の陣跡として「天狗勢稲荷山陣地跡」の石碑が建てられている。 茨城県鹿嶋市には天狗党の一隊大平組に所属し処刑された23人の「天狗党の墓」がある。 茨城県笠間市池野辺には天狗党員の「首塚(天狗塚)」や「胴塚」がある。 茨城県笠間市大田町の養福寺には天狗党殉難碑がある。 茨城県行方市には麻生藩に処刑された天狗党員を供養する「天狗塚」、大宮神社境内には天狗党の忠魂碑がある。 茨城県つくば市の筑波山神社には天狗党の顕彰碑及び藤田小四郎の像がある。 栃木県那須郡那須町には八溝山で破れ、処刑された天狗党「浮浪徒十四人墓」がある。 栃木県栃木市の太平山には天狗党の記念碑がある。 福島県東白川郡棚倉町には八溝山で破れて棚倉藩に処刑された天狗党員を供養するため、藩主松平康英が建立した「三界万霊塔」がある。 福島県東白川郡塙町の「道の駅はなわ」敷地内には「田中愿蔵刑場跡」の碑があり、茨城県つくば市の普門寺には田中愿蔵らを鎮魂する「田中忠蔵隊陣営の跡」の石碑がある。茨城県常陸太田市東連地には「田中愿蔵生誕の地」の石碑がある。 群馬県甘楽郡下仁田町には、下仁田町歴史館に「元治元年水戸天狗党下仁田戦争懐古碑」及び、天狗党の変145年記念として植樹された「烈公梅」があり、山際稲荷神社(山際公園)に小松宮彰仁親王揮毫による「義烈千秋の碑」、及び「維新之礎碑」が、本誓寺等に天狗党員、高崎藩士の墓がある。町内下小坂には勝海舟揮毫による「高崎藩士戦死之碑」が建てられており、高崎藩本陣が置かれた里見家の蔵には下仁田戦争時の弾痕が残っている。 長野県諏訪郡下諏訪町の和田峠古戦場付近には天狗党戦死者を供養する「浪人塚」がある。 岐阜県中津川市には、和田峠の戦いにおいて銃撃により負傷し、敵に首を奪わまいとして切腹した横田元綱の首塚がある。 埼玉県深谷市血洗島の薬師堂には、同所に葬られた天狗党員2名を供養する渋沢栄一書による「水藩烈士弔魂碑」がある。
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慰霊碑等
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「宇品丸」が太平洋戦争末期に擱座して空襲を受けた新潟市では、町内会などの有志により1954年(昭和29年)に戦死者のための「軍用船宇品丸慰霊塔」が北部船見児童遊園地(現在の北部公園)へ建立された。その後、北部公園の隣接地へ移設されている。地元有志による慰霊祭も行われている。
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