小説家、連載漫画家とは? わかりやすく解説

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小説家、連載漫画家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 04:25 UTC 版)

ラルス・ヤンソン」の記事における「小説家、連載漫画家」の解説

小説代表作に『5000ポンド』(1967年) がある。イギリス出版することを予想して英語で執筆しながら、フィンランド出版社契約したことから改め自分の手スウェーデン語訳しなおしたという。本人にはスウェーデン語と英語のどちらも使いこなせるという自負があった。 姉トーベ親友トゥーリッキー·ピエティラの助け借りて1949年ムーミン小説楽しいムーミン一家』をイギリス出版する作業取りかかると、翻訳イギリスベン社という出版社のもとでロンドン進んでいく。ラルストーベとともに英語の原稿目を通し、「言葉単純にスウェーデン語から英語に置き換えた翻訳にしたがらない姉の意志汲んで推敲作業助けた直訳とどまらない意訳示されると、イギリス英語独特のウィットに富む豊かな言い回しを姉に伝えるなど、できる限り原作世界英語版盛りこもうと力を尽くす。姉は小説書き挿し絵を描くのと平行して英語版推敲のほか戯曲執筆追われてしまい、もっとも情熱注いできた絵画作品制作打ち込めずにいた。私生活でも転機迎えながら思うとおりにいかない姉に、ひそかにインドネシア移住するのはどうかと持ちかけたラルスは、乗り気になった姉に代わって計画進め手続きをするものの、とうとう実行できずに終わっている。 1958年ラルスは姉トーベムーミン新聞漫画制作誘われる。姉は漫画スウェーデン語ヤンソン家はスウェーデン語系フィンランド人)で書きイギリスの新聞載せるため、語学力活かしてラルスが英語に翻訳そのかたわら、姉が手がけた漫画21作のうち8作で構成アイデア手伝った。やがて姉が新聞漫画から手を引くと、1960年から1975年まで15年間、漫画制作すべてを単独でこなす。これら一連の姉と弟連載漫画1980年フィンランド連載漫画家連盟から賞を受けた日本テレビ東京系列1990年から放送されアニメーション番組楽しいムーミン一家』、『楽しいムーミン一家 冒険日記』では、姉トーベと共に制作段階から関わり1990年から1992年にかけてフィンランド出身プロデューサーのデニス・リブソンと協力して楽しいムーミン一家コンセプト作り参加し内容監修は姉に代わって主にラルス担当。やがてアニメ大人気から映画楽しいムーミン一家 ムーミン谷の彗星』が作られる。『楽しいムーミン一家』のアニメーションシリーズには、本名の「ラルス・ヤンソンではなく「ラッセ・ヤンソン」とクレジットされた。「ラッセ」(Lasse)はラルス愛称ラルスの娘のソフィア・ヤンソンは、1993年新聞漫画をまとめた新しシリーズ立ち上げに際して父に協力し、現在はムーミンキャラクター管理会社‘ムーミンキャラクターズ’ (Moomin Oy Characters Ltd.) の社長務めている。伯母トーベ可愛がられ小説少女ソフィアの夏』のモデルになり、物語にはトーベ登場挿し絵祖母シグネが孫ソフィア題材にして描いた1972年スウェーデン学士院よりフィンランド賞とモールバッカ賞を受賞

※この「小説家、連載漫画家」の解説は、「ラルス・ヤンソン」の解説の一部です。
「小説家、連載漫画家」を含む「ラルス・ヤンソン」の記事については、「ラルス・ヤンソン」の概要を参照ください。

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