対戦した勢力とは? わかりやすく解説

対戦した勢力

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/04 10:22 UTC 版)

七日間の戦い」の記事における「対戦した勢力」の解説

この七日間の戦いには両軍合わせて20万人戦力投入されたが、双方将軍達不慣れさや慎重さもあって、適切な戦力集中が行われず、決定的な戦術的勝利を生まなかった。 南軍側では、リー北バージニア軍ジョンストンから引き継いだものより大きくなり、総勢92,000となった。これは南北戦争の残り期間考えてリー指揮した軍隊としては最大のものとなったストーンウォール・ジャクソン少将バレー方面作戦での勝利から到着したばかりであり、自身師団(この時はチャールズ・S・ワインダー准将指揮)、およびリチャード・イーウェル少将ウィリアムH・Cホワイティング准将D・H・ヒル少将の各師団構成されていた。 A・P・ヒル少将の「軽師団」(軽装動き、素早い操軍や攻撃可能だったのでこう名付けられた)、チャールズ・W・フィールドマクしー・グレッグ、ジョセフ・R・アンダーソン、ローレンス・オブライアン・ブランチ、ジェイムズ・J・アーチャーおよびウィリアム・ドーシー・ペンダー各准将旅団構成されていた。 ジェイムズ・ロングストリート少将師団ジェイムズ・L・ケンパー、リチャード・H・アンダーソンジョージ・ピケットカドマス・M・ウィルコックスロジャー・A・プライアおよびウィンフィールド・スコット・フェザーストン各准将旅団構成されていた。ロングストリートヒル軽師団対す作戦指揮もあった。 ジョン・B・マグルーダー少将ラファイエット・マクローズ少将デイビッド・R・ジョーンズ准将の各師団指揮し、またハウエル・コブ准将指揮するマグルーダー自身師団指揮した。 ベンジャミン・フーガー少将師団ウィリアム・マホーンアンブローズ・R・ライトルイス・アーミステッドおよびロバート・ランソム・ジュニア各准将旅団構成されていた。 テオフィラス・H・ホームズ師団、ジュニアス・ダニエル、ジョン・Gウォーカーヘンリー・A・ワイズ准将旅団、およびJ・E・B・スチュアート准将騎兵旅団構成されていた。 マクレランポトマック軍は、およそ104,000名おり、セブンパインズの戦い同様な構成だった。 第2軍団エドウィン・V・サムナー准将指揮イズラエル・B・リチャードソンおよびジョン・セジウィック准将師団第3軍団サミュエル・P・ハインツェルマン准将指揮ジョセフ・フッカーおよびフィリップ・カーニー准将師団第4軍団エラスムス・D・キーズ准将指揮ダライアス・コウチおよびジョンJ・ペック准将師団第5軍団フィッツ・ジョン・ポーター准将指揮ジョージ・W・モレル、ジョージ・サイクスおよびジョージ・A・マコール准将師団第6軍団、ウィリアム・B・フランクリン准将指揮ヘンリー・W・スローカムおよびウィリアム・F・"ボールディ"・スミス准将師団予備隊、フィリップ・セントジョージ・クック准将J・E・B・スチュアート義父)の騎兵予備隊、およびサイラス・ケイシー准将のホワイトハウス・ランディングにいる物資基地

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対戦した勢力

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/26 01:42 UTC 版)

プライスの襲撃」の記事における「対戦した勢力」の解説

プライスミズーリ軍と呼ばれた騎兵隊集め総勢12,000名だったが、そのおよそ3分の1は作戦当初武装もしていなかった。3個師団構成されそれぞれジェイムズ・F・ファガン少将ジョン・S・マーマデューク少将およびジョセフ・O・"ジョー"シェルビー准将指揮した北軍はこの作戦民兵隊とアンドリュー・J・スミス少将第16軍団に、ウィリアム・ローズクランズミズーリ方面軍から派遣されアルフレッド・プレソントン少将騎兵師団補充され始まった。ローズクランズはスミス軍団が(プライス初動時に海軍輸送船乗っておりイリノイ州カイロ出発してジョージア州シャーマン軍に加わる予定だった)この脅威対応するためにミズーリ州任務割り当てられることを要請した陸軍参謀総長ヘンリー・ハレック直ち要求に応じてスミス上流に向かうよう命じた10月半ばまでに新しく起こされ境界軍指揮官サミュエル・R・カーティス少将ピーリッジの戦いプライスの旧敵)の指揮下でカンザス州境から追加部隊到着したカーティスジェイムズ・G・ブラント少将騎兵師団)、ジョージ・W・ディーツラー少将カンザス州師団)、プレソントンの騎兵隊およびスミス軍団から派遣されジョセフ・J・ウッズとデイビッド・ムーア各大佐歩兵師団指揮し総勢は約35,000となった

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対戦した勢力

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 03:16 UTC 版)

ゲティスバーグ方面作戦」の記事における「対戦した勢力」の解説

ストーンウォール・ジャクソン中将戦死にともないリー北バージニア軍大きな2個軍団新しく3個軍団再編したジェイムズ・ロングストリート中将引き続き第1軍団指揮したが、師団の数は減ったジャクソン率いていた軍団2つ分けられ第2軍団リチャード・イーウェル中将に、新し第3軍団A・P・ヒル中将率いさせた。これら3個軍団J・E・B・スチュアート少将騎兵師団併せ総軍は約75,000となったジョセフ・フッカー少将ポトマック軍は、7個の歩兵砲兵軍団、1個騎兵軍団および砲兵予備隊がおり、総勢90,000名以上となった。しかし、エイブラハム・リンカーン大統領間もなくフッカーチャンセラーズヴィル敗れたことと、リー2回目ポトマック川北へ侵攻対すフッカー反応同意できなかったこととで、フッカー解任し、ジョージ・ミード少将置き換えた

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対戦した勢力

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/03 10:13 UTC 版)

半島方面作戦」の記事における「対戦した勢力」の解説

ポトマック軍は、マクレランモンロー砦到着した時に5万名がいたが、この数字対決が始まる前に121,500名まで膨れた。これらの兵士に、15,000頭の馬とロバ、および1,150両の荷車を運ぶことは大変な仕事だった。113隻の蒸気船188隻のスクーナーおよび88隻のバージ要した軍隊は3個軍団その他の部隊組織化された。 第2軍団指揮エドウィン・V・サムナー准将、2個師団イズラエル・B・リチャードソンジョン・セジウィック准将第3軍団指揮サミュエル・P・ハインツェルマン准将、3個師団フィッツ・ジョン・ポータージョセフ・フッカー、およびチャールズ・S・ハミルトン准将第4軍団指揮エラスムス・D・キーズ准将、3個師団ダライアス・コウチウィリアム・F・"ボールディ"・スミスおよびサイラス・ケーシー各准将第1軍団第1師団指揮ウィリアム・B・フランクリン准将 予備歩兵隊指揮はジョージ・サイクス准将 騎兵隊指揮ジョージ・ストーンマン准将 モンロー砦守備隊ジョン・E・ウール少将指揮下の12,000名。陸軍省ウールマクレランより表向き上級将官であることを認識し直ぐにウールボルティモア勤務の他の方面軍転任させた。 南軍側では、ジョンストン北バージニア軍3月14日新しく命名)は、3つの翼で構成され、翼ごとに数個旅団があった。 左翼指揮D・H・ヒル少将、4個旅団ロバート・Eローズウィンフィールド・S・フェザーストン、ジュバル・アーリーおよびガブリエル・J・レインズ准将中央翼、指揮ジェイムズ・ロングストリート少将、6個旅団A・P・ヒルリチャード・H・アンダーソンジョージ・ピケットカドマス・M・ウィルコックスローリー・E・コールストンおよびロジャー・A・プライア准将右翼指揮ジョン・マグルーダー少将ラファイエット・マクローズ准将師団(4個旅団ポール・J・セムズ、リチャード・グリフィスジョセフ・B・カーショーおよびハウエル・コブ准将))およびデイビッド・R・ジョーンズ准将師団(2個旅団ロバート・A・トゥームズおよびジョージ・T・アンダーソン准将)) 予備部隊指揮グスタヴス・ウッドソン・スミス少将 騎兵隊指揮J・E・B・スチュアート准将 しかし、ポトマック軍到着したとき、マグルーダーの13,000名のみが半島向かい合った主力ジョンストン43,000名はカルペパーに、セオフィラス・H・ホームズ少将軍6,000名はフレデリックスバーグに、またベンジャミン・フーガー少将軍9,000名はノーフォークにいた。リッチモンドでは、ロバート・E・リー将軍カロライナ海岸防塞任務から戻り3月13日ジェファーソン・デイヴィス大統領首席軍事顧問になったシェナンドー渓谷にいた軍隊はこの作戦では間接的な役割演じた北軍ナサニエル・バンクスおよびアービン・マクドウェル少将指揮下の約5万名が、バレー方面作戦遂行中のストーンウォール・ジャクソン麾下のかなり小さな部隊追跡携わっていた。小さな戦闘におけるジャクソン卓越した操軍と戦術的な成功により、北軍マクレラン軍を補強することを妨げマクレラン大い失望したマクレラン作戦では、マクドウェルが3名を率いて加わることになっていた。

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