基本的教理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 19:46 UTC 版)
大乗涅槃経の基本的教理は、 如来常住(にょらいじょうじゅう) 一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう) 常楽我浄(じょうらくがじょう) 一闡提成仏(いっせんだいじょうぶつ) 以上の4つを柱として要約される。釈迦の入滅という初期仏教の涅槃経典と同じ場面を舞台にとり、また諸行無常という仏教の基本的理念を踏まえながら、如来の般涅槃(はつねはん)は方便であり、実は如来は常住で変易(へんやく)することがないとして、如来の法身(ほっしん)の不滅性を主張する。また如来(仏)は涅槃の教法(法)を説く教団(僧)と共に一体で常住し不変である(三宝一体常住不変)と説き、その徳性を常楽我浄の四波羅蜜(四徳)に見いだし、またそれを理由に、「一切衆生はことごとく仏性を有する」(一切衆生悉有仏性)と宣言する。この経は、『法華経』の一乗思想を受け入れ、如来蔵思想によってそれを発展させた。なお「一切衆生悉有仏性」は、近代の大乗仏教において衆生つまり人間以外の山川草木や動物などすべてにおいて仏性があるという解釈から「一切悉有仏性」とも言われるようになった。 また、『法華経』同様、大乗を誹謗するものに対して厳しい姿勢をとり、これを一闡提(いっせんだい。梵: iccantica欲望よりなる者、の意)と呼び、仏となる可能性をもたない(一切衆生の例外規定)とする。しかし、後の増広部分(法顕訳にない北本の第11巻以下)ではその主張を緩和し、方便説として、闡提にも仏性はあり成仏できる可能性はあるとする。この経は4世紀の成立で、龍樹には知られていない。 なお、この如来常住や常楽我浄は、釈迦仏が衆生の機根にあわせて教えを説いた仏教の段階的説法の最終形といえる。すなわち釈迦仏がインドにおいて出世した時、人間はみなこの世が続くものと思っていて、快楽にふけり、我の強い自分勝手な人が多く、穢れた世界であるとして、人間の世界を否定し無常・苦・無我・不浄と説いてきた。またそれが諸行無常という仏教の基本的理念となっている。しかし人間の世界は無常・苦・無我・不浄であるが、如来とその法や世界こそ永遠である(如来常住や常楽我浄)と『涅槃経』では説いた。また同じく闡提成仏も、それまで仏教では、(仏教を否定する)闡提は成仏しがたい者であるとしていたが、『涅槃経』にいたっては闡提であっても仏性は有しているから成仏する可能性はある(北本の第11巻以下)とする。 したがって『涅槃経』は、段階的に教えを説くという仏教の従来のスタイルに則りつつ、その最終的な教理を展開したものである。
※この「基本的教理」の解説は、「大般涅槃経」の解説の一部です。
「基本的教理」を含む「大般涅槃経」の記事については、「大般涅槃経」の概要を参照ください。
- 基本的教理のページへのリンク