福音派
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注釈
- ^ 「正統」とはあくまで自己言及としてなされるものであって、客観的に正統という立場はあらゆる教派に存在しない。一方、自らの「伝統性」を主張する正教会・東方諸教会・カトリック教会・聖公会などを考え合わせると、「旧守的」という表現にも問題が残る。後述するように、福音派の定義については簡潔な記述は困難である。
- ^ 福音主義神学と聖書学は福音派陣営で発達を見た。代表的神学者は、J.G.メイチェン、ウォーフィールド、J.I.パッカー、カール・ヘンリー、A・E・マクグラス、岡田稔、尾山令仁、内田和彦らである。
- ^ 自由主義神学者海老名弾正と論争した植村正久は、キリストの贖罪を教会の信仰告白の中に含めることは間違いだと主張した[46]。また植村は、ウェストミンスター信仰基準など歴史的なプロテスタントの信条は日本に必要ないとも主張した[47]。
出典
- ^ 宇田進『福音主義キリスト教と福音派』いのちのことば社
- ^ 中村敏『日本における福音派の歴史』
- ^ 日本福音同盟『日本の福音派』p.50いのちのことば社
- ^ a b 宇田進『福音主義キリスト教と福音派』いのちのことば社
- ^ 宇田進『現代福音主義神学』いのちのことば社
- ^ J・I・パッカー『福音的キリスト教と聖書』
- ^ 宇田進『福音主義キリスト教と福音派』
- ^ 日本福音同盟『日本の福音派』p.49
- ^ 宇田進『宣教ハンドブック』p.248
- ^ J・G・メイチェン 2000.
- ^ 宇田進 1993.
- ^ 共立基督教研究所『宣教ハンドブック』いのちのことば社
- ^ Stanley, Brian (2013). The Global Diffusion of Evangelicalism: The Age of Billy Graham and John Stott. 5. Downers Grove, Illinois: IVP Academic. p. 11. ISBN 978-0-8308-2585-1. "As a transnational and trans-denominational movement, evangelicalism had from the outset encompassed considerable and often problematic diversity, but this diversity had been held in check by the commonalities evangelicals on either side of the North Atlantic shared - most notably a clear consensus about the essential content of the gospel and a shared sense of the priority of awakening those who inhabited a broadly Christian environment to the urgent necessity of a conscious individual decision to turn to Christ in repentance and faith. Evangelicalism had maintained an ambiguous relationship with the structures of Christendom, whether those structures took the institutional form of a legal union between church and state, as in most of the United Kingdom, or the more elusive character that obtained in the United States, where the sharp constitutional separation between church and state masked an underlying set of shared assumptions about the Christian (and indeed Protestant) identity of the nation. Evangelicals had differed over whether the moral imperative of national recognition of godly religion should also imply the national recognition of a particular church, but all had been agreed that being born or baptized within the boundaries of Christendom did not in itself make one a Christian."
- ^ The Concise Oxford Dictionary. Oxford University Press. (1978)
- ^ Operation World
- ^ “Christianity report”. 2013年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月30日閲覧。
- ^ Loup Besmond de Senneville, la-croix.com, Dans le monde, un chrétien sur quatre est évangélique, France, January 25, 2016
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- ^ Smith (2018年3月3日). “5 facts about U.S. evangelical Protestants”. Pew Research Center. 2021年5月14日閲覧。
- ^ “Religion in America: US Religious groups”. Pew Research Center. 2021年5月14日閲覧。
- ^ Mohler (2011): "A new dynamic emerged in the last half of the twentieth century as the charismatic and Pentecostal movements also began to participate in the larger evangelical world. By the end of the century, observers would often describe the evangelical movement in terms of Reformed, Baptist, Wesleyan, and charismatic traditions."
- ^ Ohlmann 1991, p. 155.
- ^ a b A・E・マクグラス『キリスト教の将来』教文館
- ^ 宇田進『福音主義キリスト教と福音派』いのちのことば社 ISBN 9784264014232
- ^ 古屋安雄『激動するアメリカ教会』ヨルダン社
- ^ 尾山令仁『クリスチャンの和解と一致』
- ^ “教界全体では東方教会(東方諸教会、正教会)、西方教会(ローマ・カトリック教会、プロテスタント教会)に別れ、プロテスタントは聖書信仰派(福音派と聖霊派)とリベラル派(エキュメニカル派)に分かれている。”尾山令仁『クリスチャンの和解と一致』地引網出版
- ^ 「聖書信仰は、ただJPCだけではなく、福音派全体の共通した恵みの絆であり、伝統的キリスト教教理の敷石であり、救霊と伝道への情熱の源泉である。」日本福音同盟『日本の福音派』p.50いのちのことば社
- ^ ジョン・グレッサム・メイチェン『キリスト教とは何か』いのちのことば社
- ^ 共立基督教研究所『宣教ハンドブック』東京キリスト教学園
- ^ 『福音主義キリスト教と福音派』宇田進
- ^ 「福音派の諸教団はエキュメニカルなグループとは独立して、その交わりを育ててきたのであり、日本では特にその区別が明確である。」日本福音同盟『日本の福音派15』p.49
- ^ マーティン・ロイドジョンズ『リバイバル』いのちのことば社
- ^ 高橋保行『ギリシャ正教』63頁、講談社学術文庫
- ^ 日本福音同盟『21世紀の福音派のパラダイムを求めて』いのちのことば社 p.62
- ^ 日本福音同盟『日本の福音派-21世紀に向けて』p.44
- ^ 日本福音同盟『はばたく日本の福音派』p.142
- ^ 水草修治『ニューエイジの罠』CLC出版 p.91-107
- ^ 共立基督教研究所『宣教ハンドブック』p245
- ^ 片岡伸光『汝の若き日に』キリスト者学生会
- ^ 中村敏『日本における福音派の歴史』いのちのことば社
- ^ いのちのことば社『敬虔に威厳をもって』
- ^ 日本福音同盟『日本の福音派-21世紀に向けて』p.39
- ^ 岡田稔『キリストの教会』小峯書店
- ^ ケアンズ『基督教全史』
- ^ 「植村・高倉神学の行方」(『改革派世界』)岡田稔著
- ^ 『著作集』6「信条制定に関する意見」植村正久著
- ^ 尾山令仁著『今も生きておられる神』プレイズ出版
- ^ 片岡伸光著『汝の若き日に-KGK50年の歩みと応答-』p.83
- ^ (PDF) Global Christianity: A Report on the Size and Distribution of the World's Christian Population, Pew Forum on Religion and Public Life, (December 19, 2011) 2018年1月23日閲覧。
- ^ “There are now as many Americans who claim no religion as there are evangelicals and Catholics, a survey finds”. CNN. 2019年6月16日閲覧。
- ^ Green, John C.. “The American Religious Landscape and Political Attitudes: A Baseline for 2004” (PDF). The Pew forum. 2009年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月23日閲覧。
福音派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/08 08:20 UTC 版)
「福音派」も参照 聖書は全人類が神の怒りの下にあると啓示している。福音は、人をクリスチャンとノンクリスチャンの二種類のグループに分ける。イエス・キリストの福音が非キリスト教のノン・クリスチャンの世界に対して言うべきことは、神の怒りだけである。神の怒りについて語った有名な説教に、ジョナサン・エドワーズの「怒れる神の御手の中にある罪人」がある。 エドワーズは、神の激しい怒りを示す聖句にイザヤ書63章をあげている。新生していない者は、怒れる神の御手の中にある。神は憤って彼らを踏みにじり、返り血を浴びた神の衣がよごれる。 「我はひとりにて酒榨をふめり もろもろの民のなかに我とともにする者なし われ怒によりて彼等をふみ忿恚によりてかれらを蹈にじりたれば かれらの血わが衣にそそぎわが服飾をことごとく汚したり そは刑罰の日わが心の中にあり 救贖の歳すでにきたれり」 マーティン・ロイドジョンズは、神の怒りを説教することへの反対論に対し、教会が神の怒りについて話さなくなってから、人々が教会から離れたと指摘している。 また、ロイドジョンズは、リベラルの考えに反して、ジョナサン・エドワーズ、ジョージ・ホウィットフィールド、ピューリタン、プロテスタントの父祖たち、アウグスティヌスが原罪と神の怒りを教えたときに、神が多くの人を救いに導かれたことに注目している。 ジョン・グレッサム・メイチェンは、自由主義神学(リベラル)が神の怒りを否定しており、リベラルはイエス・キリストの弟子と見なされないと指摘する。イエス・キリストの教えの前提には、神の怒りがある。「新約聖書は、神の怒りと、イエス自身の怒りとを明瞭に語っている。そしてイエスの教説の全体は罪に対する神の怒りを前提としている。しからば、イエスの教説と模範の中よりこの生命要素を拒否する所の人々が、如何なる権利をもって自らをイエスの真の弟子と看做し得るか。事実は神の怒りの教義の現代的拒斥は、全新約聖書及びイエス自身の真の教説と全然一致せざる軽き罪悪感より来るものである。もし人が真に一度罪の確信の下に来るならば、彼は十字架の教理に関して少しも異論を抱かぬであろう。」 また、ロバート・チャールズ・スプロールは救いとは神の怒りからの救いであるとし、ペラギウス主義と自由主義神学(リベラリズム)に救いはない、としている。 フランシス・シェーファーは、すべての人間は神の怒りの下にあるが、欧米は宗教改革の真理を踏みつけたのであり、現代人に耳を傾けさせることのできる説教は、神のさばきを語る説教しかないとする。クリスチャンはエレミヤのように、すべての人や文化の上に臨んでいる、神のさばきを語らなければならないと述べている。
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福音派
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福音派によれば、イエス・キリストを信じた瞬間にクリスチャンの内に聖霊が内住し、聖霊のバプテスマがされる。そのことによってキリストのからだに属するものとなり、そこから永遠に漏れることがない。これは体験ではなく客観的事実である。
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福音派
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日本ルーテル同胞教団 米国ルーテル同胞教会に由来。 ルーテル同胞聖書神学校を運営。日本福音同盟に加盟。 フェローシップ・ディコンリー福音教団 プロテスタントのルーテル系の15教会による団体。
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福音派
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聖書解釈の原則に文法的・歴史的・神学的解釈があり、これは字義的・文化的・批評的解釈とも呼ばれる。また一般原則として、1.啓示、2.新約聖書の優位性、3.新約の書簡の優位性、4.体系的論述の優先性、5.普遍的教えの優先性、6.教理的論述の優先性、7.聖書全体との調和、8.限界の認識があげられる。 全的堕落の教理から、ノンクリスチャンに聖書を解釈する能力はなく、聖書は新生した者が、聖霊の解明によらなければ理解することができないと教えている。
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福音派
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「復活 (キリスト教)」の記事における「福音派」の解説
イエス・キリストの復活は歴史上実際に起った歴史的事実であり、やがて人は復活すると全教会で認められており、リベラルの見解を退ける。
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福音派
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福音派の諸教会・教派では大体、再臨の結果として、現在の自然、社会などあらゆる秩序が壊滅的な影響を受け(ペトロの手紙二3:10)、創造主である神によって新しい秩序が世界に導入される、という聖書の記述をそのまま信じている。「新しい天、新しい地」(黙示録21:1)はその新しい秩序の表現であるとする。
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福音派
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「プロテスタントにおけるマリヤ観」の記事における「福音派」の解説
福音派は聖書信仰からルカによる福音書のマリアの賛歌はマリア自身によると認める。またマリア聖霊によって身ごもったという処女降誕を史実と信じている。ジョン・ストットはエフェソス公会議の「神であり人であるが単一の人格であること」、カルケドン信条「単一の人格でありながら、イエスが完全に神であり人であること」を受け入れるが、「神の母」には言及していない。
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福音派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 00:07 UTC 版)
福音主義教会は、正教会やローマ・カトリックと違い、聖書と同等の権威を持たされた無謬の伝統の存在を拒絶する。福音派は、イエス・キリストが最終的な権威として聖書を引用することを指摘して、聖書自身がその権威を立証するとしている。
※この「福音派」の解説は、「聖書の無誤性」の解説の一部です。
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福音派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/27 11:08 UTC 版)
この節ではキリスト教福音派の用語について解説する。 福音派では異教の用語である焼香、香典、仏前、霊前は使われない。クリスチャンが異教の葬儀に出席するときに「葬儀代」「御花料」「慰」と書くが、教会でなされるキリスト教式の葬儀の場合は葬儀費用援助のための献金箱を設けることがある。既製品は「ご霊前」と書かれているので、半紙あるいは白い封筒で自作することがすすめられる。戦前のプロテスタントは異教の儀式に妥協することがあったが、戦後の福音派はそれを偶像崇拝とみなしている。福音派では仏式の葬儀にクリスチャンが出席することついて議論があり、悪霊が働く異教の儀式そのものに可能な限り参加するべきでなく、近親者の葬儀などにやむを得ず出席しなければならない場合は、仏前(死者の霊)にささげられる花も避け、葬儀代(funeral expenses)もしくは家族や慰問者の食事代と明記するという立場もある。
※この「福音派」の解説は、「御花代」の解説の一部です。
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福音派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 04:34 UTC 版)
福音派では新生した者のみがバプテスマを受ける資格があると認め、洗礼による新生を退ける。
※この「福音派」の解説は、「バプテスマ」の解説の一部です。
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