地中海世界
地中海文明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 02:04 UTC 版)
古代ギリシア 古代ギリシアやヘレニズム期の地中海地方では、灯台や見張塔を除いてあまり塔は造られなかった。世界の七不思議にも数えられるアレクサンドリアの大灯台(紀元前3世紀頃)が建てられたのはこの時代である。灯台の全高は約134m。大理石造りであった。この塔は1,650年余の長きを地中海に臨む一大建築物であったが、14世紀に2度の地震に遭って崩壊したのを機に要塞建設の資材に転用されるかたちで消滅した。また、紀元前1世紀にはローマの影響下にあったアテナイに、時計塔としても使われた風の塔が建設されていることからも分かるように、決して塔建築が無かったわけではない。 古代ローマ前期(王政ローマ・共和政ローマ期) 古代ローマがイタリア中部で建国され、ローマ人はイタリア南部のサムニウム人、シチリア(マグナ・グラエキア)のギリシア人、イタリア中部のエトルリア人、イタリア北部(ガリア・キサルピナ)のガリア人などの土地を併合し領土を拡大していった。その過程で得たエトルリアやギリシアの高度な建築技術も取り入れて古代ローマの建築技術は発展していった。また第二次ポエニ戦争ではローマの領土深くまでカルタゴ軍に蹂躙され、内乱の一世紀には内戦で国土が荒廃した。この時期、都市は自己防衛のため城壁で囲まれた城郭都市となるところもあった。またローマ軍団もその駐屯地を防塁で囲っていた。城壁や防塁の角や出入り口(城門)には、一時的であれば櫓が、恒久的な使用を見込めるものであれば塔が配置された。この時期の首都ローマは全周11kmのセルウィウス城壁により守られていた。また、戦場では移動式の木製攻城塔が使われることもあった。 古代ローマ後期(帝政ローマ期) 古代ローマの全盛期になると、もはや侵入できる外敵が存在しなくなり、都市機能の拡大に合わせて城壁を拡大していく必要がなくなった。ローマ帝国の防衛は国境線に築かれた防壁リメス並びに軍団及び補給物資を迅速に投射できるローマ街道等の輸送路の維持によって行われていた。しかしながらローマ帝国が衰退する4世紀頃以降、ゲルマン人の侵入に対抗するため都市に城壁(囲壁)を築いて防衛する必要性が生じた。ローマ帝国最盛期には城壁を持たなかった首都ローマも、定間隔で監視塔を組み込んだ全周約19km・高さ8m・厚さ3.5mのローマン・コンクリートで造られたアウレリアヌス城壁で防御されることになった。 このように、ローマ人が塔を築くのはひとえに軍事上の目的からであり、国家の拡大期に、また、常に異民族との衝突が予想される国境地帯では盛んに建設されている。
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