地中海東部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 23:17 UTC 版)
「イーグル (空母・初代)」の記事における「地中海東部」の解説
イタリア王国との関係悪化により、イーグルはノルウェー戦線へ派遣された空母グローリアスの代艦を必要としていた地中海艦隊へと送られることになった。イーグルは1940年(昭和15年)5月9日にコロンボを出港。悪天候のため一旦コロンボに戻ったが、再び出港して5月25日にはスエズ運河に入り、5月27日にアレクサンドリアに到着して地中海艦隊に加わった。 6月10日、イタリア王国はイギリスとフランスに宣戦を布告し、地中海戦線が形成された。イーグルも地中海攻防戦に参加する。6月11日、戦艦ウォースパイト、マレーヤなどと共に出撃。マタパン岬の南まで進出した後、6月14日に帰投した。6月22日、マルタからアレクサンドリアへ向かう船団護衛などを目的としたBQ作戦実行のため戦艦ロイヤル・サブリン、ラミリーズ、第2駆逐群と共に出撃。だが、海軍本部からの命令で作戦延期となり、艦隊は6月23日に帰投した。6月28日、戦艦ロイヤル・サブリン、ラミリーズ、駆逐艦7隻と共に船団護衛のため出撃(MA3作戦)。しかし、船団のうちマルタらかのものはエスペロ船団の戦いの結果出港延期となった。7月2日、アレクサンドリアに帰投した。 1940年7月5日、イーグル搭載のソードフィッシュがトブルクの港を攻撃してイタリア駆逐艦ゼフィーロを撃沈、エウロ(英語版、イタリア語版)を撃破するなどの戦果をあげた。7月7日からMA5作戦に参加し、7月9日にはカラブリア沖海戦に参加する。翌10日にはシチリア島のアウグスタ港を空母イーグル搭載のソードフィッシュ9機が攻撃、駆逐艦レオーネ・パンカルド(英語版、イタリア語版)を雷撃で沈めた。7月19日、スパダ岬沖海戦で損傷した軽巡洋艦ジョヴァンニ・デレ・バンデ・ネーレ (カサルディ提督旗艦) がリビア海方面に逃走した。イーグルはイタリア軽巡の追跡を命じられて発見できなかったが、7月20日にトブルクを攻撃して駆逐艦2隻(ネンボ、オストロ)を沈めた。 7月27日にイーグルはAS2船団の護衛のため戦艦ウォースパイト、マレーヤ、ラミリーズなどとともに出撃し、7月30日にアレクサンドリアに戻った。翌日、地中海西部で行われるマルタへの航空機輸送作戦(ハリー作戦)から敵の目を知らすため艦隊はまた出撃した(MA9作戦)。8月22日にはイーグルの搭載機がボンバ湾(英語版)でイタリア潜水艦イリーデ(英語版、イタリア語版)などを撃沈した。 8月29日、イーグルは戦艦ウォースパイト、マレーヤなどとともに出撃(ハッツ作戦)。艦隊はまずマルタへ向かうMF2船団を護衛し、それから地中海艦隊への増援である空母イラストリアス、戦艦ヴァリアントなどと合流した。帰路にはロドス島空襲が行われ、9月5日に艦隊はアレクサンドリアに着いた。9月30日、イーグルは戦艦ラミリーズ、マレーヤなどとともに船団護衛やイタリアの海上交通の妨害を目的としてクレタ島へ向かい、周辺を遊弋した後10月6日にアレクサンドリアに戻った。
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