スパダ岬沖海戦とは? わかりやすく解説

スパダ岬沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 04:30 UTC 版)

スパダ岬沖海戦 (スパダみさきおきかいせん、英語: Battle of Cape Spada) [1][2]は、第二次世界大戦中の地中海攻防戦英語版において、1940年(昭和15年)7月19日地中海クレタ島北西沖で発生した海戦[3]イギリス海軍およびオーストラリア海軍水雷戦隊と、イタリア王立海軍の軽巡洋艦2隻が交戦した[注釈 1]。 海戦は、イタリアの軽巡洋艦2隻と、イギリスの駆逐艦4隻との間で始まった[注釈 2]。その後オーストラリアの軽巡洋艦シドニー (HMAS Sydney) とイギリスの駆逐艦ハヴォック (HMS Havock, H43) が加わって形勢が逆転した[6]。戦闘の結果、イタリアの軽巡洋艦バルトロメオ・コレオーニ (Bartolomeo Colleoni) が撃沈され、カサルディ提督が将旗を掲げる軽巡ジョヴァンニ・デレ・バンデ・ネーレ (Giovanni delle Bande Nere) は逃げ切った[注釈 1][7]




注釈

  1. ^ a b 第一六、伊の退嬰長蛇を逸す[4] 潜水艦ばかりでなしにイタリー海軍全體の指導精神には次のやうな事が言へると思ふ。/ イタリーがドイツと比較して強大を誇り得るものは海軍力だけである。なまじ海軍力を使つてこれを失つてしまへば、戰後の講話會議の際ドイツに對する發言權を喪失してしまふかも知れぬ。出來るなら海軍力をそのまゝにして置きたい。使ふにしても最小限度に止めたい。この考へ方がイタリー海軍を引込思案にし、進んで敵を破るよりは退いて守るに如かずといふ消極退嬰の戰法をとる事を餘儀なからしめたのではなからうか。それがため、イギリス艦隊から受けた損害を加算すれば莫大な數字に上るのだ。/ 無傷な帝國海軍は日本の至寶であり、儼然たる海軍を背景にすればこそ我外交上の發言も重きを加へる所以であるが、海軍の實力を行使する必要が起きた際は苟くも力の出し惜しみをしてはならぬ事は、イタリーがいゝ手本を示してゐる。
     昨年七月十九日午前三時イタリーの乙級巡洋艦ジョンアニ・デルレ・バンデネーレ號及びバルトロメオ・オルレオーン號の兩艦はクリート島沖でシドニー級の巡洋艦一隻及び驅逐艦四隻よりなる艦隊と遭遇海戰を交へた。イタリー兩艦は同型で五,〇六九トン、主砲は一五.二糎砲八門、速力卅七節、共に一九三一年に就役してゐる。一方のイギリス巡洋艦はシドニー級だといふから、六,八三〇トン、主砲は一五糎六門、速力卅二浬四分の一、驅逐艦を加へたところで數が多いか少いだけで實力は大した距りがなかつた筈だ。然るにイタリー側は敵艦に損傷を與へたものの撃沈し得なかつたに反し、コルレオーオン號先づ敵彈のため航行の自由を奪はれ、遂に沈没してしまつたのである。/ 急を聞いて驅けつけたイタリー空軍は爆撃を加へて驅逐艦一隻を撃沈した。/ この海戰で氣のつく事は飛行機と軍艦の強力、つまりイタリーが海軍獨自の空軍を保有してゐたなら、味方の巡洋艦が砲戰を交へるに先立つてイギリス艦隊を叩き得た事であらうといふ事と、潜水艦を随伴して艦隊行動をとつてゐたらなら砲力は伯中して居り、速力はずつと優れてゐたのであるからもつと手際のいゝ戰が出來たであらうといふ事だ。
  2. ^ 三野『地中海の戦い』(1993年)276頁では、連合軍艦隊を豪州海軍軽巡シドニー、英海軍駆逐艦4隻(アイレックス、ヒーロー、ハイぺリオン、ハボック)とする[5]
  3. ^ イタリア側は“プンタスティロ沖海戦” (Battaglia di Punta Stilo) と呼称する[9]
  4. ^ Ammirarlio di divisione。英訳はvice admiral。但し、注釈ではrear admiral upper half に相当するとの表記あり。
  5. ^ カソス海峡の東側にはドデカネス諸島カソス島がある。
  6. ^ 時刻はイギリス側のもの。イタリア側より1時間遅い。以下同じ。
  7. ^ 木俣『ヨーロッパ列強戦史』(2004年)88頁では、対潜掃蕩中のイギリス駆逐艦を3隻(ハイぺリオン、ヒーロー、アイレックス)と記述する[10]
  8. ^ 近距離戦ならば、魚雷を有するイギリス駆逐艦が数的優勢を生かして優勢となる[6]
  9. ^ トブルク港の偵察をおこない、対空砲火で撃墜されたという。
  10. ^ この時点におけるイーグルの艦隊航空隊は、第813海軍飛行隊第824海軍飛行隊だった。

脚注

  1. ^ 福田誠、光栄出版部 編集『第二次大戦海戦事典 W.W.II SEA BATTLE FILE 1939~45』、光栄、1998年、ISBN 4-87719-606-4、256ページ
  2. ^ 『世界の艦船 増刊第54集 イタリア巡洋艦史』海人社、2000年、158ページ
  3. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 76–81カラブリア岬海戦とスパダ岬海戦
  4. ^ 列強の臨戦態勢 1941, pp. 121–122(原本219-221頁)
  5. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 276–278(6)高速軍艦同士の戦闘/スパダ岬沖海戦
  6. ^ a b c d ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 90.
  7. ^ イカロス、世界の巡洋艦 2018, pp. 108–109(イタリア海軍)ジュッサーノ/バルビアーノ級軽巡洋艦 コンドッチェリ級第1群
  8. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 60–61(1)フランスとの戦争
  9. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 80.
  10. ^ a b ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 88.
  11. ^ a b ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 89.
  12. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 889.
  13. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 96.
  14. ^ a b ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 92.
  15. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 93aスパダ岬の海戦(1940年7月19日)海戦行動図
  16. ^ a b ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 97.
  17. ^ a b ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 94.
  18. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 95.


「スパダ岬沖海戦」の続きの解説一覧

スパダ岬沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 16:12 UTC 版)

バルトロメオ・コレオーニ (軽巡洋艦)」の記事における「スパダ岬沖海戦」の解説

「スパダ岬沖海戦」も参照 イギリス小型タンカー船団ルーマニアからギリシャ水域へと向かっているとの情報に基づき、カサルディ提督率いる第2戦隊にその攻撃命じられた。7月17日、第2戦隊トリポリから出撃した。7月19日、第2戦隊旗艦バンデネーレ)はクレタ島西のアンティキティラ海峡からエーゲ海入った。そこでイギリス海軍の第2駆逐戦隊 (2nd Destroyer Flotilla) に所属する駆逐艦4隻(アイレクス、ヒーローヘイスティハイペリオン )と遭遇戦闘となる(スパダ岬沖海戦)。イギリス駆逐艦群は友軍のいる北東逃走し、それを追跡するイタリア軽巡2隻との間で砲火交わされた。 だが、戦闘海域オーストラリア海軍パース級軽巡洋艦 (Perth class light cruser) シドニー (HMAS Sydney) とイギリス駆逐艦ハヴォック (HMS Havock, H43) が現れると、情況一変するイタリア側はハボック軽巡洋艦誤認し戦力的に不利になったと判断して戦闘切り上げようとした。イタリア軽巡洋艦2隻(バンデネーレ、コレオーニ)は南西へと向かい今度イギリス艦隊イタリア軽巡追撃した砲撃戦最中シドニー艦長コリンズ大佐)の発射した6インチ砲弾2発がバルトロメオ・コレオーニ命中し、「バルトロメオ・コレオーニ」の速力低下する旗艦バンデネーレ(カサルディ提督)は窮地陥った姉妹艦掩護することなく逃走したので、「バルトロメオ・コレオーニ」はイギリス駆逐艦包囲され集中砲火浴びたその後、英駆逐艦(アイレクス、ハイペリオン)が発射した魚雷のうち計2本が命中し、コレオーニはスパダ岬沖で転覆沈没した生存者イギリス側各艦(アイレクス、ハイペリオンハヴォック)により救助された。救助され人数525名とするもの と、545名とするもの がある。その内Umberto Novaro艦長など51名は負傷しており、その後Novaro艦長死亡している。他にギリシャ貨物船に7名が救助されているが、121名が死亡した

※この「スパダ岬沖海戦」の解説は、「バルトロメオ・コレオーニ (軽巡洋艦)」の解説の一部です。
「スパダ岬沖海戦」を含む「バルトロメオ・コレオーニ (軽巡洋艦)」の記事については、「バルトロメオ・コレオーニ (軽巡洋艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「スパダ岬沖海戦」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「スパダ岬沖海戦」の関連用語

スパダ岬沖海戦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



スパダ岬沖海戦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのスパダ岬沖海戦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのバルトロメオ・コレオーニ (軽巡洋艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS