ドデカネス‐しょとう〔‐シヨタウ〕【ドデカネス諸島】
ドデカネス諸島
ドデカネス諸島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/05 08:49 UTC 版)
「ブランデンブルク (特殊部隊)」の記事における「ドデカネス諸島」の解説
詳細は「レロスの戦い」を参照 1943年中盤、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世はファシストの独裁者ムッソリーニを失脚させ、連合国側に寝返った。これにより多くのブランデンブルク部隊はバルカン半島から移動させられ、イタリア軍の武装解除とドイツ軍の戦争続行のために重要な地域の確保に携わった。 重要地域の一つにドデカネス諸島のコス島がある。コス島はトルコに近く、1943年9月にイギリス軍が進出しており、連合軍の大規模なイタリア兵守備隊が駐屯していた。島には重要な滑走路があり、これを再占領する必要があった。 ラングバイン少尉指揮のブランデンブルク沿岸猟兵大隊および落下傘中隊は、空軍の降下猟兵とともに、島の南海岸に夜間降下し、海岸の守備隊を速やかに制圧、イタリア兵を支配下に置いた。部隊は抵抗なく街に進出し、掃討を開始した。 いくつかの地下壕を調査した後、部隊は酒類が隠されていたのを発見した。多くの兵は酒を飲んで泥酔した。夕暮れ後、ラングバインは兵が飲みすぎて警戒を怠っていることに気づいた。彼は覚醒剤のメタンフェタミンのストックを入手し、兵たちに投与した。アルコールと混ざり合ったメタンフェタミンは兵たちに統制された怒りの感情を引き起こし、夜遅くにイギリス軍とイタリア軍が攻撃を仕掛けてきた時には敵をたやすく撃退した後、降下猟兵隊と合流して敵軍陣地に突撃、占領し、島を確保した。
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