地中海様式への回帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 19:22 UTC 版)
「アメリカ合衆国の建築」の記事における「地中海様式への回帰」の解説
1840年代から、アンドリュー・ジャクソン・ドウニング(1815年-1852年)の影響もあって、アメリカでは新ゴシック様式が人気になった。ドウニングは古典主義への復古的流れと浪漫主義の発展に自身を定義づけた。その作品は地中海的装飾で特徴付けられる。チムニー(煙突)、ゲイブル(破風)、朝顔口のある塔、弾頭窓、ガーゴイル(怪物が口を開いた形をしている彫刻)、ステンドグラスおよび急傾斜の屋根だった。その建物は対象形と新古典主義から取り出された複雑な設計を採用した。新ゴシック様式は大学(イェール大学、ハーバード大学)や教会の建設にも使われた。リチャード・アップジョーン(1802年-1878年)は北東部田舎の教会に特化したが、その最大の作品はニューヨーク市の「トリニティ教会」である。その赤い砂岩建築は16世紀ヨーロッパに題材を採っているが、今日、マンハッタンの壮大な摩天楼の中で心地よい落ち着きを与えていることが分かる。 ニューヨーク市では、ジェームズ・レンウィック・ジュニアの設計したセントパトリック大聖堂が思い浮かぶ。これはランスのノートルダム大聖堂とケルン大聖堂との優美な融合である。この計画は1858年にレンウィックに任されたが、1888年に玄関に2つの尖塔を取り付けることで完工した。石よりも軽い材料を使うことで飛び梁から外の控え壁に抜けることを可能にした。 レンウィックはまたワシントンD.C.でもスミソニアン博物館の建設でその才能を示した。しかし、その批判者はビザンチン様式、ローマ様式、ロンバルディ様式および個人的付加から借用した赤煉瓦の奇妙な組合せを建設することで首都建築物の調和を壊したと非難した。 新ゴシック様式の成功は20世紀初めまで続き、シカゴやニューヨークで顕著な多くの摩天楼に受け継がれ、その多くはヘンリー・ホブソン・リチャードソンによるリチャードソン・ロマネスクと呼ばれた。
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