国鉄民営化以降とは? わかりやすく解説

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国鉄民営化以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 05:11 UTC 版)

米原駅」の記事における「国鉄民営化以降」の解説

1990年代入り旧国鉄保有していた資産売却するための基盤整備事業実施され構内配線変更された。工事1995年平成7年)に着工これまでホーム5面で計9本の線路を持つ駅で、車両基地貨物ヤード繋いだ交直セクション橋渡しする目的機関車機回し留置するための線路多かった。しかし、客車列車ヤード貨物列車廃止によって構内配線見直された。1998年平成10年)に完成し東海道本線下り線ホーム中心に旅客ホーム全体的に西側移設された。東口駅舎から国道8号の間に鉄道用地としては不要になった土地残り米原市によって区画整理が行われた。2007年(平成19)6月近江鉄道米原駅JR線跡地移転した1988年昭和63年3月ダイヤ改正以降国鉄時代見られ管理局境界による弊害受けず神戸方から新快速米原乗り入れるようになり、電車による米原乗り入れ大幅に増加したまた、北陸本線特急JR発足後以降新幹線との接続考慮してパターン化されていった。それに加え1991年平成3年9月長浜 - 田村間が直流電化したことで東海道本線新快速快速直通するようになり、列車本数大幅に増加した日中にして、1時間あたり不均等に1本のダイヤだったのが、1時間当たり2本に増加した。この直流化によって長浜一気関西での知名度アップし湖東方面湖北方面近くなった。2006年平成18年9月24日以降は、北陸本線敦賀 - 長浜間の直流化によって長浜止まり新快速敦賀まで延長されている。 2006年から米原駅改築着手し2009年平成21年3月21日には橋上駅として生まれ変わり東西自由通路によって西口東口改札入らず行き来できるようになった従来階段しかなかった米原駅であったが、エスカレーターエレベーターオストメイト対応トイレ設置されバリアフリー化した。この工事によってJR東海とJR西日本駅舎東西に並ぶ形になったJR東海米原駅では改札外のきっぷ売場直接入場できる改札口新設のほか、待合室コンコース改良トイレ増設同時に行われている。 2016年平成28年3月26日までは旅客列車東海道本線琵琶湖線神戸方と東海道本線東京方で特急しなの1往復朝夕普通列車運行されていた。 米原駅東海道新幹線東海道本線北陸本線という鉄道交通網の観点言えば存在感があるが、駅周辺著名な観光地立地せず、地味な印象強くなってしまった。そうした印象克服すべく、米原駅東口再開発進められている。 北陸新幹線敦賀駅以西ルート選定にあたっては、米原駅東海道新幹線接続する米原ルート」がルート案1つとして浮上し滋賀県関係者強く推していたものの、与党整備新幹線建設推進プロジェクトチーム敦賀駅から小浜市経由して京都駅直行する小浜・京都ルート」を採用した

※この「国鉄民営化以降」の解説は、「米原駅」の解説の一部です。
「国鉄民営化以降」を含む「米原駅」の記事については、「米原駅」の概要を参照ください。

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