国鉄民営化以降
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1990年代に入り、旧国鉄が保有していた資産を売却するための基盤整備事業が実施され、構内の配線が変更された。工事は1995年(平成7年)に着工。これまではホーム5面で計9本の線路を持つ駅で、車両基地や貨物ヤードを繋いだり交直セクションを橋渡しする目的の機関車を機回し・留置するための線路が多かった。しかし、客車列車やヤード系貨物列車の廃止によって構内配線が見直された。1998年(平成10年)に完成し、東海道本線下り線のホームを中心に旅客ホームが全体的に西側に移設された。東口駅舎から国道8号の間に鉄道用地としては不要になった土地が残り、米原市によって区画整理が行われた。2007年(平成19)6月、近江鉄道の米原駅はJR線の跡地に移転した。 1988年(昭和63年)3月のダイヤ改正以降は国鉄時代に見られた管理局の境界による弊害を受けず神戸方から新快速が米原に乗り入れるようになり、電車による米原乗り入れが大幅に増加した。また、北陸本線の特急はJR発足後以降に新幹線との接続を考慮してパターン化されていった。それに加え、1991年(平成3年)9月に長浜 - 田村間が直流電化したことで東海道本線の新快速や快速が直通するようになり、列車の本数が大幅に増加した。日中にして、1時間あたり不均等に1本のダイヤだったのが、1時間当たり2本に増加した。この直流化によって長浜は一気に関西での知名度がアップし、湖東方面と湖北方面が近くなった。2006年(平成18年)9月24日以降は、北陸本線敦賀 - 長浜間の直流化によって長浜止まりの新快速が敦賀まで延長されている。 2006年から米原駅の改築に着手し、2009年(平成21年)3月21日には橋上駅として生まれ変わり東西自由通路によって西口と東口を改札に入らずに行き来できるようになった。従来は階段しかなかった米原駅であったが、エスカレーターやエレベーター、オストメイト対応トイレが設置されバリアフリー化した。この工事によってJR東海とJR西日本の駅舎が東西に並ぶ形になった。JR東海米原駅では改札外のきっぷ売場や直接入場できる改札口の新設のほか、待合室やコンコースの改良、トイレの増設も同時に行われている。 2016年(平成28年)3月26日までは旅客列車の東海道本線(琵琶湖線)神戸方と東海道本線東京方で特急しなの1往復と朝夕の普通列車が運行されていた。 米原駅は東海道新幹線、東海道本線、北陸本線という鉄道交通網の観点で言えば存在感があるが、駅周辺に著名な観光地が立地せず、地味な印象が強くなってしまった。そうした印象を克服すべく、米原駅東口の再開発が進められている。 北陸新幹線の敦賀駅以西のルート選定にあたっては、米原駅で東海道新幹線に接続する「米原ルート」がルート案の1つとして浮上し、滋賀県関係者が強く推していたものの、与党の整備新幹線建設推進プロジェクトチームが敦賀駅から小浜市を経由して京都駅へ直行する「小浜・京都ルート」を採用した。
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