国字政策への提言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 16:43 UTC 版)
白川は、「いまの略字表・音訓表にみられるような国字政策上の無原則は、不合理を極めたものであると思う。この重大な決定がどのような学問的、また歴史的研究の基礎の上になされたものであるかについて、それを問う必要があると考える。(趣意)」という。そして、「『字統』は、漢字民族である中国の文化に奉仕するために書いたものではない。漢字を国字として用いるわが国の国字政策に寄与することを念頭において、その研究を進めたものである。『字統』によって国字政策の全体がその正しい文字知識の上に推進されてゆくことを切にねがうのである。(趣意)」と述べている。 犬の意味 古代中国では、犬は非常に嗅覚が鋭いために呪力をもつ大切な動物とされ、生贄として特に貴いものとされた。「犬」を要素とする字が数多くあるが、日本ではこのような「犬」のもつ意味を理解しないまま「大」に変更してしまい、そのため「戻」「器」「臭」「類」などは、文字としての一貫した体系性を失ってしまったのである。 例えば「戻」は旧字では「戸」と「犬」を合わせた「戾」であった。「戸」は家の出入り口のこと。家の出入り口の下に生贄の「犬」を埋めて、地中の悪霊を祓う字が「戾」である(悪霊の入ることを拒否することから「もどる、いたる」の意味に用いる)。「大」は手足を広げて立つ人の正面形を表す文字で、「犬」の右上の点は犬の特徴である耳を表し、その点をつけることで「犬」と「人」を区別していた。 このような変更をしてしまったのが戦後の当用漢字、それを引き継いだ常用漢字である。どのような議論を経てこのような文字の変更が行われたのか、白川は国に問い合わせたが、「当時の資料は何も残っていないので分からない。」というのが国の返事であった。 遊字論 「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。」の書き出しで知られる「遊字論」において、白川は常用漢字の堕落を解説している(「神の顕現」より一部分を抜粋)。 遊とは動くことである。常には動かざるものが動くときに、はじめて遊は意味的な行為となる。動かざるのものは神である。神隠るというように、神は常には隠れたるものである。それは尋ねることによって、はじめて所在の知られるものであった。神を尋ね求めることを、「左右してこれを求む」という。左は左手に工の形をした呪具をもち、右は右手に祝詞を収める器の形である(さい)をもつ。左右の字をたてに重ねると、尋となる。 神が隠れ住むとき、その隠れ蓑にあたるものが、呪具の工であった。隠れるときにも尋ねるときにも、その呪具が必要であった。隠の本字は隱である。隠れるとは、神が呪具の工によって「み身を隠したまう」形である。常用漢字表の制定者は、この神隱る神の姿から、隱身の呪具である工を奪うて顧みることがない。神はうつつなくもその現身(うつしみ)をあらわして、羞じらう姿を露呈する。これは字遊びである。字遊びは、かつては神聖な神の、自己顕現の方法であった。いまや神と人とは、その位置をかえている。現代の文明における遊びのように、それは堕落し果てた虚妄の遊びである。
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