国の天然記念物指定および重伝建地区選定と観光地化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 14:41 UTC 版)
「角館のシダレザクラ」の記事における「国の天然記念物指定および重伝建地区選定と観光地化」の解説
武家屋敷通り一帯のシダレザクラは1953年(昭和28年)に「角館の枝垂桜」として秋田県の天然記念物の指定を受けているが、このような文化財保護法上の記念物が、必ずしも即座に一般的な観光の対象となることはなかった。このころから角館のシダレザクラや武家屋敷などが徐々に知られ始めてきたものの、角館が秋田県の代表的な観光地という認識は1970年(昭和45年)頃まではなかったという。 1964年(昭和39年)に角館町観光協会が発足し、羽後交通により田沢湖 - 盛岡間のバス路線運行が開始され、1967年(昭和42年)の日本交通公社の発行する雑誌『旅』4月号に、武家屋敷や桧木内川堤のサクラが紹介されたものの、角館が秋田県を代表するような観光地の一つになるのはもう少し先のことで、多種多様な価値観が広がり始めた1960年代後半から1970年代前半にかけ、観光地を訪れる旅行者側も、旅行者を受け入れる観光地側も、何が観光の対象になり得るのか、将来的に何が観光の対象として期待されるのか、試行錯誤の過渡期でもあった。 折しも日本国有鉄道(国鉄)によるディスカバー・ジャパンと銘打った個人旅行客の増大を目的にしたキャンペーンが1970年(昭和45年)から始まり、女性旅行者の増大や個人旅行がブームとなり、日本各地に残る古い町並みなどの価値が再認識されるようになり、旅行先としても注目され始めた。今日ではよく知られた重要伝統的建造物群保存地区、通称「重伝建」と呼ばれる日本各地の伝統ある町並みの保全制度は、この約5年後の1975年(昭和50年)に発足することとなるが、角館の武家屋敷通りは制度開始時に日本全国から最初に選定された7件のうちの1つであった。 武家屋敷通りのある東勝楽丁や表町の一帯は、角館駅から徒歩で約20分ほどと、駅から徒歩圏内であることも幸いし、角館は1970年半ばから個人客を中心とした観光客が急速に増加し始め、特に桜の開花期や秋の紅葉時など多数の個人旅行者が訪れるようになった。一方、団体旅行の目的地としても角館は注目されはじめ、実例として1974年(昭和49年)の春、ある大手旅行代理店より「武家屋敷群を見学するツアーを企画したいので、屋敷内を公開して欲しいのですが…、4月下旬の桜の時期に合わせて観光バスを入れられますか…」といった問い合わせが当時の角館町の観光課にあり、旅行会社と角館町双方による協議や受け入れ調整が実施され、団体バス利用による角館の武家屋敷通りとシダレザクラ群の観光ツアーが同年4月26日に初めて行われた。 これらのことは角館の観光地としての注目度が、自分が住む地域であるがゆえに、その魅力に気付かず、地元よりも県外のほうが高かったことを意味しており、ディスカバー・ジャパンや「古き良き日本」を再発見する新しい余暇の過ごし方といった、当時の日本の時流に角館の魅力は合致することになった。鉄路だけでなく1970年代に急速に普及した自家用車と、地方部における道路網の整備なども追い風となり、風情のある武家屋敷群とそれらを取り巻くシダレザクラを中心とした屋敷林の緑豊かな景観は一躍脚光を浴びるようになった。 こうした中、当時の文化庁は前述した重伝建の観点だけでなく、角館の文化的景観価値を総体的に捉え、秋田県の天然記念物であった武家屋敷通りの枝垂桜を「角館のシダレザクラ」の指定名称で1974年(昭和49年)10月9日に国の天然記念物に指定した。指定範囲は東勝楽丁から表町にかけた南北に細長い武家屋敷通り両側の敷地を含め指定され、天然記念物に指定されたシダレザクラの本数は当初153本であった。 翌1975年(昭和50年)には武家屋敷西側を流れる桧木内川の左岸(東岸)堤防上に2キロメートル続くソメイヨシノの桜並木が「檜木内川堤(サクラ)」として国の名勝に指定され、更に翌1976年(昭和51年)には前述した重要伝統的建造物群保存地区に選定されるなど、角館はサクラの城下町というイメージが定着したのは1970年代前半から1976年(昭和51年)にかけた数年間と考えられている。 このように角館は、1974年(昭和49年)10月の国の天然記念物の指定「角館のシダレザクラ」、1975年(昭和50年)2月の国の名勝の指定「檜木内川堤(サクラ)」、1976年(昭和51年)9月の国の重要伝統的建造物群保存地の選定「仙北市角館」といった、国の文化財保護法による文化財として一種のお墨付きのようなものを、わずか2年弱の間に立て続けに、3種類もの国の文化財指定・選定を受けたという稀有な事例となり、観光の対象をめぐる社会的な認識や時代の価値観などの影響を大きく受けて形成されたという意味においても特筆される観光地となった。 特に、これまでの天然記念物の指定は樹木単体、あるいは植物群落、生育地といった、あくまでも自然物のみを対象に捉えた指定が一般的であったが、角館のシダレザクラの天然記念物の価値は自然物としてだけではなく、文化庁の指定解説文で「市街地内に古くから受けつがれたシダレザクラ群」と記されたように、武家屋敷通りの建物群と一体をなす文化的環境全体を含んだ「面的」な価値にあり、この点に関しても従来にはないエポックメイキング的な国の天然記念物の指定であった。
※この「国の天然記念物指定および重伝建地区選定と観光地化」の解説は、「角館のシダレザクラ」の解説の一部です。
「国の天然記念物指定および重伝建地区選定と観光地化」を含む「角館のシダレザクラ」の記事については、「角館のシダレザクラ」の概要を参照ください。
- 国の天然記念物指定および重伝建地区選定と観光地化のページへのリンク