傍系子孫
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傍系として、妹カエサリア(435年頃 - ?)の血筋は7世紀初めまで続いた。一方、弟パウルス(445年頃 - 496年)の娘イレーネーはアニキウス・オリブリオス・ミノール(480年頃生誕。502年の執政官)と結婚。アニキウス・オリブリオス・ミノールの母アニキア・ユリアナ(462年 - 527/528年)はウァレンティニアヌス朝とテオドシウス朝の血を引く西ローマ帝国皇帝・ウァレンティニアヌス3世の孫娘であった。アニキウス・オリブリオス・ミノールとエイレーネーは娘プロバ(510年頃生誕)を儲け、プロバは夫アニキウス・プロブス・ミノール(495年頃 - 525年以降)との娘ユリアナ(533年頃生誕)の血筋はユスティニアヌス朝、ヘラクレイオス王朝と結びついて存続し、第一次ブルガリア帝国の皇室にもその血が入り込んでいる。ユリアナの曽孫娘にフラウィア・ユリアナ(590年頃生誕)がいるが、彼女は西ゴート王国の王室の血筋であるアタナギルド(580~582年/583年 - 没年不詳、第17代国王レオヴィギルドの長男ヘルメネギルドとその妻イングンデの息子、レオウィギルドの最初の妻でヘルメネギルドの母テオドシアの血筋を辿るとローマ帝国初代皇帝アウグストゥスや2世紀に皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスに反乱を起こし敗死したガイウス・アウィディウス・カッシウス、3世紀の軍人皇帝の一人プピエヌスに辿り着く)と結婚。一説にアタナギルドの息子アルデバルト(アルダバスト、アルタバストス、アルタバスドス)の母になったという。これが事実なら、西ゴート王国の最後の約40年間に在位した幾人かの王はフラウィア・ユリアナの血筋であったことになり、アルデバルトの曽孫ウィティザ王の兄弟シセブトの孫娘ウセンダはアストゥリアス王国第8代国王ベルムード1世と結婚。ラミロ1世(第11代国王)含む4子を儲けた。そして、ベルムード1世の血筋はヒメノ朝(カスティーリャ王家)、ブルゴーニュ王朝に入り込み、現スペイン国王フェリペ6世も末裔の一人である。
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傍系子孫
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「セウェルス朝の断絶」というのは「セウェルス朝(=セウェルス家)によるローマ帝国支配が終焉を迎えた」という意味であり、セウェルス家の血筋自体はセプティミウス・セウェルスの兄プブリウス・セプティミウス・ゲタ(143年 - 203年頃/204年頃)の子孫がアレクサンデル・セウェルスの死後も生き残っていた為、存続している。なお、プブリウスの姉妹にセプティミア・オクタウィッラがいるが、彼女の子は記録が無く、伝わっていない。 セプティミウス(プブリウス・セプティミウス・アペル)- 恐らく153年の執政官であるプブリウスの息子。 ガイウス・セプティミウス・セウェルス・アペル(175年 - 212年)- プブリウスの孫。セプティミウスの息子。207年の執政官。カラカラによって処刑された。ルキウス・セプティミウス(210年 - ?) - ガイウスの息子。ルキウス・セプティミウス・セウェルス(245年頃生誕)- ルキウスの息子。妻はポンポニア・バッサ(250年頃生誕。ポンポニウス・バッスス(220年 - 271年以降)とポンポニア・グラティディアの娘。ポンポニウスの母アンニア・アウレリア・ファウスティナ(201年頃 - 222年頃)はマルクス・アウレリウス・アントニヌスの曾孫でその後継者コンモドゥスの大姪(姉の孫)にあたる。アンニアはポンポニウス・バッスス(175年 - 221年)と結婚して長男ポンポニウスと長女ポンポニアを儲けたが、ヘリオガバルスが王朝の連続性を示す為に、ポンポニウス・バッススを221年に処刑して、アンニアと無理矢理に再婚したが、すぐに離婚している)。セプティミウス・バッスス(270年頃 - 319年以降)- ルキウスとポンポニアの息子。セプティミア(305年頃生誕)- ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの姉小オクタウィアの末裔(小オクタウィアから数えて14代目)ルキウス・ウァレリウス・マクシムス・バシリウス(295年頃 - 337年以降)の最初の妻。ルキウス・ウァレリウス・セプティミウス・バッスス(328年頃 - 379年以降または383年頃)- セプティミアの息子。妻はアデルフィア(340年頃生誕)ウァレリウス・アデルフィウス・バッスス(360年頃 - 383年以降)- ルキウスとアデルフィアの息子。ウァレリウス・アデルフィウス(385年頃生誕)- ウァレリウスの息子。アデルフィア(410年頃 - 459年以降)- ウァレリウス・アデルフィウスの息子。フラウィウス・アニキウス・プロブス(405年頃 - 459年以降)と結婚。フラウィウス・アニキウス・オリュブリウス(オリブリオス)- 西ローマ帝国皇帝。ウァレンティニアヌス3世の次女プラキディア(440年頃 - 484年頃)と結婚。一人娘アニキア・ユリアナ(462年 - 527年/528年、フラウィウス・アレオビンドゥス・ダガライフス(460年 - 512年)の妻)を儲ける。 アニキウス・プロブス(435年頃生誕)- 西ローマ帝国皇帝オリブリオスの弟。アニキウス・オリュブリウスの父。アニキウス・プロブス・ミノール(495年頃 - 525年以降)の祖父。 西ローマ帝国皇帝オリブリオスの娘アニキア・ユリアナの長男フラウィウス・オリュブリウス・ミノール(480年頃生誕)は東ローマ帝国皇帝アナスタシウス1世の弟パウルス(445年 - 496年以降)の娘イレーネー(485年頃生誕、母マグナは簒奪帝マグヌス・マクシムスと西ローマ皇帝ペトロニウス・マクシムスの子孫)と結婚。一人娘にプロバ(510年頃生誕)。 プロバとオリブリオスの弟アニキウス・プロブスの孫アニキウス・プロブス・ミノールが結婚。2人の関係は再従叔父と再従姪にあたる(プロバの父フラウィウス・オリュブリウス・ミノールとアニキウス・プロブス・ミノールが再従兄弟同士)。この2人の娘がユリアナ(533年頃生誕)。 ユリアナはアナスタシウス(530年頃 - 571年以降。東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世(アナスタシウス1世の次々代皇帝)の皇后テオドラの庶子テオドラ(515年頃生誕)とユリアナの母方の祖母イレーネーの兄プロブス(480年頃 - 542年以降)の息子フラウィウス・アナスタシウス・パウルス・プロブス・サビニアヌス・ポンペイウス(500年頃 - 517年以降)の長男。弟にヨハネス(532年頃生誕)とアタナシウス(535年頃生誕))と結婚。長男アレオビンドゥス(550年頃生誕)、長女プラキディア(552年頃生誕)、次女プロバ(生没年不詳)の1男2女がいる。アレオビンドゥスとプラキディアに子孫が確認できる。 長男アレオビンドゥスの娘アナスタシア・アレオビンダ(570年頃生誕)は東ローマ皇帝マウリキウス(ユスティニアヌス1世の3代後の皇帝)の弟ペトルス(545年頃 - 602年)と結婚。娘フラウィア・ユリアナ(590年頃生誕)がいる。フラウィア・ユリアナは西ゴート王国国王レオヴィギルドの長男ヘルメネギルドとその妻イングンド(メロヴィング朝フランク王国の分王国アウストラシアの第一王女)の息子で合法的な西ゴート王国王位継承権を持つアタナギルド(579年以降の生誕。没年不明)と結婚。息子にアルデバルト(アルダバスト)がいる。アルデバルトは後に理由は不明だが、東ローマ帝国から追放処分を受けて西ゴート王国に亡命、時の西ゴート王キンダスウィントの姪ゴダ(610年頃生誕)を妻とした。その間から680年から7年間、西ゴート王を務めたエルウィグが生まれた。エルウィグの子孫は少なくとも玄孫の代まで確認される。 長女プラキディアはヨハンネス・ミュスタコン(545年 - 591年)と結婚。ウァレンティヌス(580年 - 644年/645年)、エウフェミア(575年頃生誕)、マヌイル(585年頃 - 634年以降)の3人を儲けた。 マヌイルには名前不詳の娘(620年頃生誕)がおり、彼女の子孫は後世に繁栄、存続している。 エウフェミアはユスティニアヌス1世の妹ウィギランティアの曾孫グレゴリウス(560年頃生誕)と結婚。息子にニケタス(590年 - 629年)。ニケタスの妻グレゴリア(585年頃生誕)はニケタスの父グレゴリウスの姉妹エピファニアと大ヘラクレイオス(550年 - 610年)の娘で、後にヘラクレイオス王朝の初代皇帝となるヘラクレイオス1世の妹である。ニケタスとグレゴリアの子女は3人(グレゴリア(612年 - 650年以降、ヘラクレイオス1世の長男コンスタンティノス3世の皇妃でコンスタンス2世の母)、ニケ(615年 - 630年以降)、グレゴリウス(647年に戦死))である。 ウァレンティヌスには娘ファウスタ(625年頃 - 681年以降)がおり、コンスタンス2世の皇妃となり、コンスタンティノス4世、ヘラクレイオス、ティベリオスの3男を儲けた。コンスタンティノス4世の皇妃アナスタシアはコンスタンティノス4世の曾祖父ヘラクレイオス1世が側室(ゲルマヌスの次女。ゲルマヌスの母マタスンタは東ゴート王国初代国王テオドリック大王の孫娘でユスティニアヌス1世の従弟ゲルマヌス・ユスティヌスと結婚していた)との間に儲けたヨハンネス・アタラリック(600年頃 - 637年以降)の娘である。なお、ゲルマヌス・ユスティヌスの母がアニキア・ユリアナとフラウィウス・アレオビンドゥス・ダガライフスの娘である可能性が指摘されている。 ヘラクレイオス1世の最初の皇妃ファビア(580年 - 612年)はアニキア・ユリアナの息子でアニキウス・オリュブリウス・ミノールの弟アレオビンドゥス(485年頃生誕)の曾孫(アレオビンドゥスと妻ゲオルギアの息子がプロブス(510年 - 542年)。プロブスと妻アウィエナ(520年頃生誕、西ローマ帝国最後の皇帝ロムルス・アウグストゥスの外孫。フラウィウス・オレステスの曾孫。母の名はバルバラ(495年頃生誕)。父ルフィウス・マグヌス・ファウストゥス・アウィエヌスは小オクタウィア・アウグストゥス姉弟の子孫)の娘がプロバ(540年頃生誕)。プロバはロガスという男性と結婚。ファビアが生まれた)で、ヘラクレイオス1世との間にコンスタンティノス3世とエピファニアの2人を儲けた。 コンスタンティノス4世は皇妃アナスタシアとの間にユスティニアノス2世とヘラクレイオスの2男を儲けた。 ユスティニアノス2世は最初の皇妃エウドキアから長女アナスタシア(685年頃生誕)を得た。アナスタシアはブルガリア王テルヴェル(672年 - 721年)に嫁ぎ、息子テレリグ(706年 - 777年)を儲けた。2番目の皇妃テオドラから長男ティベリオスを得ている。なお、2番目の皇妃テオドラはユスティニアノス2世の曾祖父コンスタンティノス3世の姉エピファニアの玄孫にあたる。
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