傍系子孫とは? わかりやすく解説

傍系子孫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 13:46 UTC 版)

アナスタシウス1世」の記事における「傍系子孫」の解説

傍系として、妹カエサリア435年頃 - ?)の血筋7世紀初めまで続いた一方、弟パウルス445年頃 - 496年)の娘イレーネーはアニキウス・オリブリオス・ミノール(480年生誕502年執政官)と結婚。アニキウス・オリブリオス・ミノールの母アニキア・ユリアナ(462年 - 527/528年)はウァレンティニアヌス朝テオドシウス朝血を引く西ローマ帝国皇帝ウァレンティニアヌス3世孫娘であった。アニキウス・オリブリオス・ミノールとエイレーネーは娘プロバ(510年生誕)を儲け、プロバは夫アニキウス・プロブス・ミノール(495年頃 - 525年以降)との娘ユリアナ533年生誕)の血筋ユスティニアヌス朝ヘラクレイオス王朝と結びついて存続し第一次ブルガリア帝国皇室にもその血が入り込んでいる。ユリアナ曽孫娘にフラウィア・ユリアナ(590年生誕)がいるが、彼女は西ゴート王国王室血筋であるアタナギルド(580~582年/583年 - 没年不詳第17代国王レオヴィギルドの長男ヘルメネギルドとその妻イングンデの息子、レオウィギルドの最初の妻ヘルメネギルドの母テオドシア血筋を辿るとローマ帝国初代皇帝アウグストゥス2世紀皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス反乱起こし敗死したガイウス・アウィディウス・カッシウス3世紀軍人皇帝一人プピエヌス辿り着く)と結婚一説アタナギルド息子アルデバルト(アルダバスト、アルタバストス、アルタバスドス)の母になったという。これが事実なら、西ゴート王国最後の約40年間に在位した幾人かの王はフラウィア・ユリアナの血筋であったことになり、アルデバルト曽孫ウィティザ王の兄弟シセブトの孫娘ウセンダはアストゥリアス王国第8代国王ベルムード1世結婚ラミロ1世(第11代国王)含む4子を儲けた。そして、ベルムード1世血筋ヒメノ朝カスティーリャ王家)、ブルゴーニュ王朝入り込み、現スペイン国王フェリペ6世末裔一人である。

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傍系子孫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 03:35 UTC 版)

セウェルス朝」の記事における「傍系子孫」の解説

セウェルス朝断絶」というのは「セウェルス朝(=セウェルス家)によるローマ帝国支配終焉迎えた」という意味であり、セウェルス家の血筋自体セプティミウス・セウェルスの兄プブリウス・セプティミウス・ゲタ143年 - 203年頃/204年頃の子孫がアレクサンデル・セウェルス死後生き残っていた為、存続している。なお、プブリウスの姉妹にセプティミア・オクタウィッラがいるが、彼女の子記録無く伝わっていない。 セプティミウス(プブリウス・セプティミウス・アペル)- 恐らく153年執政官であるプブリウスの息子。 ガイウス・セプティミウス・セウェルス・アペル(175年 - 212年)- プブリウスの孫。セプティミウスの息子207年執政官カラカラによって処刑された。ルキウス・セプティミウス(210年 - ?) - ガイウス息子ルキウス・セプティミウス・セウェルス245年生誕)- ルキウス息子。妻はポンポニア・バッサ(250年生誕。ポンポニウス・バッスス(220年 - 271年以降)とポンポニア・グラティディアの娘。ポンポニウスの母アンニア・アウレリア・ファウスティナ(201年頃 - 222年頃)はマルクス・アウレリウス・アントニヌス曾孫その後継者コンモドゥス大姪(姉の孫)にあたる。アンニアはポンポニウス・バッスス(175年 - 221年)と結婚して長男ポンポニウス長女ポンポニアを儲けたが、ヘリオガバルス王朝連続性を示す為に、ポンポニウス・バッススを221年処刑して、アンニアと無理矢理再婚したが、すぐに離婚している)。セプティミウス・バッスス(270年頃 - 319年以降)- ルキウスとポンポニアの息子。セプティミア(305年生誕)- ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの姉小オクタウィア末裔小オクタウィアから数えて14代目)ルキウス・ウァレリウス・マクシムス・バシリウス(295年頃 - 337年以降)の最初の妻。ルキウス・ウァレリウス・セプティミウス・バッスス(328年頃 - 379年以降または383年頃)- セプティミアの息子。妻はアデルフィア340年生誕)ウァレリウス・アデルフィウス・バッスス(360年頃 - 383年以降)- ルキウスアデルフィア息子。ウァレリウス・アデルフィウス(385年生誕)- ウァレリウス息子アデルフィア410年頃 - 459年以降)- ウァレリウス・アデルフィウスの息子。フラウィウス・アニキウス・プロブス(405年頃 - 459年以降)と結婚。フラウィウス・アニキウス・オリュブリウス(オリブリオス)- 西ローマ帝国皇帝ウァレンティニアヌス3世次女プラキディア(440年頃 - 484年頃)と結婚一人娘アニキア・ユリアナ(462年 - 527年/528年、フラウィウス・アレオビンドゥス・ダガライフス(460年 - 512年)の妻)を儲ける。 アニキウス・プロブス(435年生誕)- 西ローマ帝国皇帝オリブリオスの弟。アニキウス・オリュブリウスの父。アニキウス・プロブス・ミノール(495年頃 - 525年以降)の祖父西ローマ帝国皇帝オリブリオスの娘アニキア・ユリアナの長男フラウィウス・オリュブリウス・ミノール(480年生誕)は東ローマ帝国皇帝アナスタシウス1世の弟パウルス445年 - 496年以降)の娘イレーネー485年生誕、母マグナ簒奪マグヌス・マクシムス西ローマ皇帝ペトロニウス・マクシムスの子孫)と結婚一人娘にプロバ(510年生誕)。 プロバとオリブリオスの弟アニキウス・プロブスの孫アニキウス・プロブス・ミノールが結婚2人の関係は再従叔父と再従姪にあたる(プロバの父フラウィウス・オリュブリウス・ミノールとアニキウス・プロブス・ミノールが再従兄弟同士)。この2人の娘がユリアナ533年生誕)。 ユリアナアナスタシウス530年頃 - 571年以降東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世アナスタシウス1世次々皇帝)の皇后テオドラ庶子テオドラ515年生誕)とユリアナ母方祖母イレーネーの兄プロブス480年頃 - 542年以降)の息子フラウィウス・アナスタシウス・パウルス・プロブス・サビニアヌス・ポンペイウス(500年頃 - 517年以降)の長男。弟にヨハネス532年生誕)とアタナシウス535年生誕))と結婚長男アレオビンドゥス(550年生誕)、長女プラキディア(552年生誕)、次女プロバ(生没年不詳)の1男2女がいる。アレオビンドゥスとプラキディアに子孫確認できる長男アレオビンドゥスの娘アナスタシア・アレオビンダ(570年生誕)は東ローマ皇帝マウリキウスユスティニアヌス1世3代後の皇帝)の弟ペトルス545年頃 - 602年)と結婚。娘フラウィア・ユリアナ(590年生誕)がいる。フラウィア・ユリアナは西ゴート王国国王レオヴィギルドの長男ヘルメネギルドとその妻イングンド(メロヴィング朝フランク王国の分王国アウストラシア第一王女)の息子合法的な西ゴート王国王位継承権を持つアタナギルド579年以降生誕没年不明)と結婚息子アルデバルト(アルダバスト)がいる。アルデバルトは後に理由不明だが、東ローマ帝国から追放処分受けて西ゴート王国亡命時の西ゴート王キンダスウィントの姪ゴダ610年生誕)を妻とした。その間から680年から7年間、西ゴート王を務めたエルウィグが生まれた。エルウィグの子孫は少なくとも玄孫の代まで確認される長女プラキディアはヨハンネス・ミュスタコン(545年 - 591年)と結婚ウァレンティヌス580年 - 644年/645年)、エウフェミア575年生誕)、マヌイル(585年頃 - 634年以降)の3人を儲けた。 マヌイルには名前不詳の娘(620年生誕)がおり、彼女の子孫は後世繁栄存続している。 エウフェミアユスティニアヌス1世の妹ウィギランティアの曾孫グレゴリウス560年生誕)と結婚息子ニケタス590年 - 629年)。ニケタスの妻グレゴリア(585年生誕)はニケタスの父グレゴリウス姉妹エピファニアと大ヘラクレイオス550年 - 610年)の娘で、後にヘラクレイオス王朝初代皇帝となるヘラクレイオス1世の妹である。ニケタスとグレゴリアの子女は3人(グレゴリア(612年 - 650年以降ヘラクレイオス1世長男コンスタンティノス3世皇妃コンスタンス2世の母)、ニケ615年 - 630年以降)、グレゴリウス647年戦死))である。 ウァレンティヌスには娘ファウスタ625年頃 - 681年以降)がおり、コンスタンス2世皇妃となり、コンスタンティノス4世ヘラクレイオス、ティベリオスの3男を儲けたコンスタンティノス4世皇妃アナスタシアコンスタンティノス4世曾祖父ヘラクレイオス1世側室ゲルマヌス次女ゲルマヌスの母マタスンタ東ゴート王国初代国王テオドリック大王孫娘ユスティニアヌス1世従弟ゲルマヌス・ユスティヌスと結婚していた)との間に儲けたヨハンネス・アタラリック(600年頃 - 637年以降)の娘である。なお、ゲルマヌス・ユスティヌスの母がアニキア・ユリアナとフラウィウス・アレオビンドゥス・ダガライフスの娘である可能性指摘されている。 ヘラクレイオス1世最初皇妃ファビア(580年 - 612年)はアニキア・ユリアナの息子でアニキウス・オリュブリウス・ミノールの弟アレオビンドゥス(485年生誕)の曾孫(アレオビンドゥスと妻ゲオルギアの息子プロブス510年 - 542年)。プロブスと妻アウィエナ(520年生誕西ローマ帝国最後の皇帝ロムルス・アウグストゥス外孫フラウィウス・オレステス曾孫。母の名はバルバラ495年生誕)。父ルフィウス・マグヌス・ファウストゥス・アウィエヌスは小オクタウィア・アウグストゥス姉弟の子孫)の娘がプロバ(540年生誕)。プロバはロガスという男性結婚。ファビアが生まれた)で、ヘラクレイオス1世との間にコンスタンティノス3世エピファニア2人儲けたコンスタンティノス4世皇妃アナスタシアとの間にユスティニアノス2世ヘラクレイオスの2男を儲けたユスティニアノス2世最初皇妃エウドキアから長女アナスタシア685年生誕)を得たアナスタシアブルガリア王テルヴェル(672年 - 721年)に嫁ぎ息子テレリグ(706年 - 777年)を儲けた2番目の皇妃テオドラから長男ティベリオスを得ている。なお、2番目の皇妃テオドラユスティニアノス2世曾祖父コンスタンティノス3世の姉エピファニア玄孫にあたる。

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