テオドシウス朝とは? わかりやすく解説

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テオドシウス朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 13:34 UTC 版)

テオドシウス朝(テオドシウスちょう、英語: Theodosian dynasty)は、379年に東方正帝として即位したテオドシウス1世から始まり、457年までローマ帝国を支配した王朝である。


  1. ^ Theodosius I (top), Arcadius (left), and Honorius (right)
  2. ^ d·d·d·n·n·n·auggg· ("Our Lords the Augusti") : Theodosius (centre), Arcadius (left), Honorius (right)
  3. ^ d·n· arcadius p·f· aug· ("Our Lord Arcadius, Pious Happy Augustus")
  4. ^ Inscription: ael· eudoxia aug· ("Aelia Eudocia Augusta")
  5. ^ Inscription: d·n· honorius p·f· aug· ("Our Lord Arcadius, Pious Happy Augustus"), from Hoxne hoard
  6. ^ Inscription:d·n· galla placidia p·f· aug· ("Our Lady Galla Placidia, Pious Happy Augusta") The reverse shows Victory and a crux gemmata
  7. ^ Theodosius II (centre) blessing Valentinian III (left) and Theodosius' daughter Licinia Eudoxia (right)
  1. ^ テオドシウス1世の娘婿・共治帝。
  2. ^ コンスタンティウス3世の子。ホノリウスの没後、元老院によって擁立された西方帝ヨハンネス(在位423年 - 425年)を倒して即位。
  3. ^ 379年-394年まではウァレンティニアヌス朝の東方帝。
  4. ^ アルカディウスの娘婿。


「テオドシウス朝」の続きの解説一覧

テオドシウス朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 08:48 UTC 版)

ローマ皇帝一覧」の記事における「テオドシウス朝」の解説

詳細は「テオドシウス朝」を参照 肖像名称生年誕生在位期間即位背景没年死因 テオドシウス1世大帝” FLAVIVS THEODOSIVS AVGVSTVS 東ローマ 347年1月11日カウカ属州ヒスパニア379年1月1日395年1月17日 ローマ軍将軍であった大テオドシウス息子として生まれ、自らも軍人として栄達する。東方正帝ウァレンスゴート族との争い敗死した後、西方正帝グラティアヌスによって東方担当共同皇帝任命されるグラティアヌス没後、その異母弟ウァレンティニアヌス2世傀儡化し実質的にローマ帝国全土単独支配した395年1月17日 自然死 アルカディウス FLAVIVS ARCADIVS AVGVSTVS 東ローマ 377年 383年1月408年5月1日 テオドシウス1世長男東方担当皇帝となるが、この時代から東西分割深化進んでいく(東ローマ帝国)。 408年5月1日 自然死 ホノリウス FLAVIVS HONORIVS AVGVSTVS 西ローマ 384年9月9日 393年1月23日423年8月15日 テオドシウス1世次男西方担当皇帝となるが、この時代から東西分割深化進んでいく(西ローマ帝国)。 423年8月15日 自然死 コンスタンティウス3世 FLAVIVS CONSTANTIVS AVGVSTVS 西ローマ 生年不明ナイッスス(属州モエシア421年2月8日421年9月2日 テオドシウス1世娘婿で、アルカディウスホノリウス義弟ホノリウス共同皇帝務める。 421年9月2日 自然死 テオドシウス2世 FLAVIVS THEODOSIVS AVGVSTVS 東ローマ 401年4月10日コンスタンティノープル属州トラキア408年5月1日450年7月28日 アルカディウス息子テオドシウス大城壁など、帝国東方防衛強化進める。跡継ぎ持たないまま病没した。 450年7月28日 自然死 ヨハンネス IOHANNES AUGUSTUS 西ローマ 不明 423年8月27日425年5月 ホノリウス死後、テオドシウス朝を疎んだ元老院から推挙され皇帝となる。しかし東方正帝テオドシウス2世派遣したゲルマン人将軍アスパル敗れて処刑された。 425年5月 アスパルにより処刑される ウァレンティニアヌス3世 FLAVIVS PLACIDIVS VALENTINIANVS AVGVSTVS 西ローマ 419年7月2日ラヴェンナイタリア本土424年10月23日455年3月16日 コンスタンティウス3世息子で、テオドシウス1世の孫。ヴァンダル族フン族侵略により西方領土弱体化が進む。跡継ぎ持たないままに暗殺される455年3月16日 暗殺される マルキアヌス FLAVIVS MARCIANIVS AVGVSTVS 東ローマ 396年 450年夏 – 457年1月 テオドシウス2世義兄(姉の夫)。義弟同様に跡継ぎ恵まれず、彼とその妻の死によってテオドシウス家は断絶した457年1月 自然死

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テオドシウス朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 13:43 UTC 版)

西ローマ帝国」の記事における「テオドシウス朝」の解説

388年実力人気兼ね備えた総督マグヌス・マクシムス西側権力を掌握して、皇帝として宣言された。グラティアヌス異母弟である西帝ウァレンティニアヌス2世東側への逃避余儀なくされたが、東帝テオドシウス1世援助請い、その力を得て間もなく皇帝復位したテオドシウス1世391年まで西側滞在し西側でもキリスト教化施行し異教の禁止発令した392年5月ウァレンティニアヌス2世変死すると、同年8月元老院議員エウゲニウス西帝となったが、394年息子ホノリウス西帝を名乗らせたテオドシウス1世によって倒された。テオドシウス1世ホノリウス後見として自身西ローマ帝国滞在し395年崩御するまでの4ヶ月間、東西の両地域実質的に支配した一般にテオドシウス1世の死をもってローマ帝国の東西分裂呼ばれるが、これは何世紀にもわたって内戦統合繰り返してきたローマ帝国分裂歴史一齣にすぎなかったことも見過ごしてならない

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テオドシウス朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 09:28 UTC 版)

東ローマ帝国の皇帝一覧」の記事における「テオドシウス朝」の解説

詳細は「テオドシウス朝」を参照 肖像名称生年誕生在位期間即位背景没年死因 テオドシウス1世大帝” FLAVIVS THEODOSIVS AVGVSTVS 347年1月11日カウカ属州ヒスパニア379年1月19日395年1月17日 ローマ軍将軍であった大テオドシウス息子として生まれた379年グラティアヌスによって共同皇帝とされた。グラティアヌス異母弟ウァレンティニアヌス2世死後394年9月6日におきたフリギドゥスの戦いエウゲニウス破り息子ホノリウス西方正帝とすることでローマ帝国東西実質的に単独支配した395年1月17日 自然死 アルカディウス FLAVIVS ARCADIVS AVGVSTVS 377年 395年1月17日408年5月1日 テオドシウス1世長男東方担当皇帝となるが、この時代から東西分割深化進んでいく。 408年5月1日 自然死 テオドシウス2世“カリグラフォス” (能書家) FLAVIVS THEODOSIVS IVNIOR AVGVSTVS 401年4月10日コンスタンティノープル属州トラキア408年5月1日450年7月28日 アルカディウス息子テオドシウス大城壁など、帝国東方防衛強化進める。跡継ぎ持たないまま病没した。 450年7月28日 自然死 マルキアヌス FLAVIVS MARCIANIVS AVGVSTVS 396年 450年夏 – 457年1月 テオドシウス2世没後ゲルマン人将軍アスパル支持され即位テオドシウス2世死後彼の姉と結婚したためテオドシウス家の一員みなされることもある。跡継ぎ持たないまま死亡した457年1月 自然死

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