保守主義の派閥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 10:11 UTC 版)
「アメリカ合衆国の保守主義」の記事における「保守主義の派閥」の解説
今日のアメリカ合衆国で、「保守主義」という言葉は過去に使われていた意味合い、さらには現在世界の他の場所で使われている意味合いとは異なって使われる場合が多い。1776年に独立を宣言した後のアメリカ人は、土地付きの貴族政治、国教会および強力で一流の軍隊といったヨーロッパ保守主義の中核概念を拒否した。 1960年代のバリー・ゴールドウォーターは「自由事業」保守主義を提案した。1980年代のジェリー・ファルエルは伝統的な道徳と宗教の社会的価値観を説いた。これらの集団を選挙で協力させたのがレーガンの挑戦だった。 21世紀のアメリカで、自分達を保守派と呼んでいる集団は以下の通りである。 伝統保守主義、政府や社会制度における急激な変化に反対する者。この種の保守主義は目的(如何なる特別な政府形態)よりも手段(緩りとした変化)を強調する限り、反思想的なものである。伝統主義者にとって、右派のあるいは左派の政府に到達するかということは、変化が革命や急激な革新によってよりも法の規制によって行われるかということよりも重要ではない。 キリスト教保守主義、保守的なキリスト教徒は主に家族の価値観について興味がある。典型的な姿勢としては、アメリカ合衆国がキリスト教徒の国として設立されたこと、人工中絶は悪いこと、学校では礼拝が行われるべきこと、結婚は一人の男と一人の女の間で行われるべきであり、同性の間では行うべきではないこと、などがある。多くの者はメディアや映画での不敬表現や性的表現を攻撃している。 「小さな政府」保守主義、連邦政府の役割を減らすことを求めている。トーマス・ジェファーソンやジェームズ・マディソンの考え方に従い、強力な中央政府に懐疑的である。 新保守主義、民主主義を世界に広げるために、より攻撃的で干渉主義の外交政策を支持する新しい保守主義の形態。国内では活動的な政府に寛容であるが、大半は国際事情に集中している。新保守主義は先ず不満を抱いたリベラル派集団によって謳われ、その知的な創設者とされることの多いアーヴィング・クリストルが、「現実に失望したリベラル派」として新保守主義を定義した。元々は国内政策へのアプローチと見なされていたが(クリストルが道具に使った定期刊行物「ザ・パブリック・インタレスト」は外交政策を扱っていなかった)、リチャード・チェイニー、ロバート・ケーガン、リチャード・パール、ケネス・エイデルマン、アービングの息子のビル・クリストル、などの人物の影響により、ジョージ・W・ブッシュ政権の外交政策に関わったことで有名になった。ブッシュ政権の2期の間に国内で最も著名で影響力のあった保守派は、その思想的な方向付けで「新保守主義」と考えられた。 超保守主義、1980年代に新保守主義に対する反応として表れ、伝統、特にキリスト教徒の伝統を重んじ、伝統的な家庭の社会に重要であるとしている。例えばサミュエル・P・ハンティントンなどは、多人種、多民族、および平等主義の国は本質的に不安定であると主張している。超保守主義は概して孤立主義であり、海外への影響力について懐疑的である。雑誌「クロニクルズ」や「ジ・アメリカン・コンサーバティブ」が、その性質から超保守主義と一般に見なされている。 リバタリアン保守主義、リバタリアンとの融合であり、アメリカ合衆国憲法、特に連邦政府の権限について厳密な解釈を強調している。事業寄りの社会的中道派、州の権限のより厳格な執行を好む者、個々の自由活動家、および財政的な信念の前に社会的自由の思想を置く者達など、幅広く、時には相矛盾する者達の連衡である。その思考形態は自由放任経済や連邦政府に対する批判的見解に傾きがちである。個人の自由を強調することは、社会的保守派と対照的な立場に置くことになる。保守主義のリバタリアン派は、孤立主義的超保守主義者が新保守主義者と交わす論争と似たものになる可能性がある。しかし、リバタリアン保守主義は軍事的に干渉主義であるか、あるいは他のリバタリアンよりも軍事力を大きく支持することになる。対照的に地方政府を強く好むことで、国際的な政府に反対することが多くなっている。
※この「保守主義の派閥」の解説は、「アメリカ合衆国の保守主義」の解説の一部です。
「保守主義の派閥」を含む「アメリカ合衆国の保守主義」の記事については、「アメリカ合衆国の保守主義」の概要を参照ください。
- 保守主義の派閥のページへのリンク