人権擁護法案廃案後の議論とは? わかりやすく解説

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人権擁護法案廃案後の議論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 06:32 UTC 版)

人権擁護法案」の記事における「人権擁護法案廃案後の議論」の解説

廃案後も、政府・与党では引き続き法案検討が行われ、報道機関を特別救済の対象としないことなどの修正加えた上で、再提出試みられた。2005年平成17年2月には、政府・与党前回法案一部修正加えた上で同年第162回国会常会)に再提出する方針を一旦固めた。しかし、法案について議論検討した自民党法務部会での議事進行が、法案推進派の古賀誠・元自民党幹事長らによって強引に行われたとして、法案慎重派平沼赳夫法案反対する真の人権擁護を考える懇談会会長)、亀井郁夫城内実衛藤晟一らから反対意見噴出した結果党執行部同年7月法案提出断念した産経新聞日本文化チャンネル桜などのメディアや、西村幸祐櫻井よしこ西尾幹二などの文筆家インターネット上ブログ掲示板でも、この動き同調して反対運動活発化した。このときには、「人権侵害」の定義が曖昧であること、人権擁護委員国籍要件がないこと、人権擁護委員推薦候補者として「その他人擁護目的とし、又はこれを支持する団体の構成員」を挙げたことなどを主な反対理由としていた。 2005年3月には「救う会」が「北朝鮮による日本人拉致問題解決妨げになる」として法案成立反対する声明出し日本文化チャンネル桜などのメディア西村幸祐櫻井よしこ西尾幹二識者民主党保守系議員にもこれに同調する意見が出るようになった部落解放同盟同和立法期限切れに伴う代替法として人権擁護法案成立強く推進している。特に朝日新聞社成立促すよう強く働きかけ行っており、2005年平成17年)の通常国会時は専務取締役坂東愛彦社会部本田雅和などが同調し紙面論調反映された。同紙の社説では、特定のや団体の影響が強まるのではないかという批判や、人権擁護委員から外国人締め出すため、国籍条項加えるよう求める声が高まっていることに対して、「だが、心配のしすぎではないか」と一蹴した。 また自民党連帯している保守系同和団体であり、自民党友好団体にも登録されている自由同和会解放同盟同じく人権擁護法案成立向けた活動活発に行っている。自由同和会平成28年度運動方針文中では「同和問題はじめとするあらゆる人権問題被害者簡易迅速柔軟に救済する人権擁護法案」の成立求めて運動展開してきたが、広汎人権問題包含する人権擁護法案」は現況では困難であると判断し未だに完全解決至っていない同和問題解決するために、「人権擁護法案」の関連法として、当面同和問題特化した個別法成立求めて行く。」と述べられている。 一方野党民主党は、2005年平成17年7月自民党執行部法案提出断念を受け、同年8月1日対案となる人権侵害による被害の救済及び予防等に関する法律案人権侵害救済法案。衆法第33号。)を第162回国会常会)に提出した同法案は、同年8月8日いわゆる郵政解散により審議未了廃案となっている。 この後行われた第44回衆議院議員総選挙では、郵政民営化法案反対した議員には、自民党執行部から刺客送り込まれるなど、自民党議員構成大きく変わった。それに伴って人権擁護法案推進派・慎重派双方自民党内における構成変動した慎重派中心となっていた議員には郵政民営化法案にも反対していた議員多かったため、刺客送り込まれ城内衛藤などが落選し平沼古屋圭司古川禎久自民党を離党するなど、法案慎重派自民党内での影響力低下させた。一方法案推進派の中心となっていた古賀も、郵政民営化法案衆院採決棄権したため、党の戒告処分受けて自民党人権問題調査会長を退き自見庄三郎熊代昭彦らは刺客敗れて落選するなど、同じく自民党内での影響力低下させた。また、郵政民営化法案賛成した議員も、入閣したために党内法案審議から距離を置き、人権擁護法案に関する議論自体低調になった総選挙後小泉純一郎・内閣総理大臣は「政府与党内でさらに検討進め被害者実効的な救済を図る人権擁護法案できるだけ早期提出できるよう努めていく」と答弁2005年平成17年9月29日参議院本会議における、民主党神本美恵子による人権問題に関する質問対す答弁) するなど、法案の再提出目指す動き続いたこの頃鳥取県では、独自の人権擁護制度創設する鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例案の審議が行われていた。同条例案は、人権擁護法案参考にして作成され2005年平成17年9月可決成立前後には、県内外に大きな反響巻き起こした結果、翌2006年平成18年3月には同条例施行無期限停止することが決まり2009年平成21年4月1日施行されないまま廃止された。 2006年平成18年9月人権擁護法案に対して慎重な姿勢取っていた安倍晋三内閣総理大臣に就任し、法案提出への動きはさらに下火となった新任法務大臣長勢甚遠も、「状況をよく精査し、対応を考えたい」として、これに同調したまた、郵政解散後に自民党離れていた衛藤法案慎重派一部復党させるなど、安倍考えの近い議員自民党内へ再び取り込む方策もとられた。 2007年平成19年9月に、安倍晋三内閣総理大臣辞任したことにより、法案提出への動き再開された。自民党選対委員長就任し新たに党四役として重み増した古賀は、「人権擁護法案選挙有利に働く。次期衆院選挙に向け必要な法案だ」 として、2008年平成20年)の第169回国会常会)への法案提出目指した。また、古賀派太田誠一衆院議員自民党人権問題調査会会長据え山崎拓青木幹雄らとも、法案の成立向けて連携取り始めた。これに対して稲田朋美中心とした党内若手保守系議員は、伝統と創造の会などの勉強会通じて連携図り同法案に反対していくことを明確にした。

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