郵政解散
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郵政解散(ゆうせいかいさん)とは、2005年8月8日の衆議院解散の俗称である[1]。
注釈
- ^ 小泉は首相と農水相を3日後の8月11日まで兼務した上で、岩永峯一農水副大臣を格上げする形で農水相に任命している。
- ^ 法律案の採決が衆参で一致しない場合の両院協議会開催については国会法第84条では「法律案について、(中略)参議院において衆議院の送付案を否決し(中略)たときは、衆議院は、両院協議会を求めることができる」とあり、任意になっている。過去にも1951年に食糧の政府買入数量の指示に関する法律案の採決が衆参で異なった時、両院協議会を開かず、衆議院の法案再議決をしなかった例がある。
- ^ 当時は衆議院での再可決に必要な3分の2以上の議席を与党単独で獲得することは非現実的と思われていた。
- ^ 両院を解散できる国としてはイタリアが存在する。ただし、解散権は首相の専権事項ではなく大統領が留保している。
出典
郵政解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 13:34 UTC 版)
詳細は「郵政国会」および「郵政解散」を参照 2005年8月、自民党内は小泉首相が成立を目指す郵政民営化法案の採決を巡って分裂していた。同法案は衆議院では辛うじて可決されたものの、参議院では自民党内の反対派の動き次第で、法案が否決される可能性があった。会期中の成立を絶対とする小泉は、参議院で否決された場合は衆議院を解散し、総選挙では造反議員を推薦しないとしていたため、自民党内では小泉の手法に対して賛否が真っ二つに分かれていた。 小泉の後見人を自認する森は、8月2日に「参議院で否決された場合に衆議院を解散するなら派閥会長を辞める」と発言した。8月6日には内閣総理大臣公邸へ赴いて小泉と会談し、法案が否決されても衆議院を解散しないよう説得を試みた。森は「元々反対の人までが努力して協力している。その人たちを苦しめて何の意味があるんだ」と情を説いたが、説得は失敗に終わった。この会談のあと、森は報道陣の前に缶ビールとミモレットを手にして会見し、「夕食時だから寿司でも取るのかと思ったら、出されたのが缶ビールとスモークサーモン、干からびたチーズ一切れだけだった」とぼやき(実際には高級品である)、このような対応に小泉のことを「変人以上」(狂人)と評するなど怒りを隠さなかった。しかし、この行動は、小泉の決心が固いと言うことを示すパフォーマンスだったと選挙後に明かした。これにより、加藤紘一元自民党幹事長ら一部から郵政解散は「干からびたチーズ解散」とも呼ばれた。小泉は後日「今度ミモレットの出るおいしいフレンチレストランにご招待したい」というコメントを出した。 8月8日の採決で、自民党からは21人の造反議員が出て法案は否決され、この結果を受けて小泉首相は衆議院の解散を決定した。同日夜、衆議院解散が決まった直後、森は派閥会長辞任発言を撤回した。 森は、派閥会長辞任発言について、「『法案が否決されれば解散もある』との意味をこめた造反組への最後警告の芝居だった」と説明したという。
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