人権擁護法案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/28 04:55 UTC 版)
人権擁護法案(じんけんようごほうあん)は、日本の法律案である。2002年(平成14年)、第154回国会で小泉内閣により提出された[1]。
注釈
- ^ 人権擁護法案5条1項、人権委員会設置法案4条とも、国家行政組織法3条2項の規定に基づく行政委員会として「人権委員会」の設置を定める。ただし、人権擁護法案では法務省の外局ではあるものの独立性が高い「法務大臣の所轄に属する」機関としたのに対し(擁護法案5条2項)、人権委員会設置法案では人権委員会を単に「法務省の外局」としている(設置法案4条)。
- ^ 人権擁護法案では人権擁護委員の規定を置き、従来の人権擁護委員法は廃止することとされたのに対して、人権委員会設置法案には人権擁護委員の規定を置かず、従来の人権擁護委員法を一部改正することとされた。人権擁護法案による人権擁護委員には国籍条項を置かず、人権擁護委員法の一部改正による人権擁護委員は従来と同じく選挙権を有する者として日本国民に限り、国家公務員法の適用を受けるものとした。
- ^ この意見具申は、同和対策事業に関する特別措置法である地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律(昭和62年法律第22号、地対法)が、1997年(平成9年)3月末に失効するにあたって行われた。同法は、1969年(昭和44年)に制定された同和対策事業特別措置法(昭和44年法律第60号、同対法)をその始めとする。
- ^ 国連総会において定めた、1995年(平成7年)から2004年(平成16年)までの10年間のこと。人権教育のための国連10年推進本部、首相官邸。
- ^ 人権擁護推進委員会は、審議の過程で、犯罪被害者の会、全国自由同和会、全国部落解放運動連合会、部落解放同盟、日本新聞協会、北海道ウタリ協会、在日本大韓民国民団、在日本朝鮮人総聯合会、放送と人権等権利に関する委員会機構など、多くの団体から各種人権課題に関するヒアリングを行った。
- ^ 与党の自由民主党・公明党の多くは法案に賛同し、野党の民主党、社会民主党、日本共産党などは反対した。
- ^ 新聞各紙のうち、朝日新聞はメディア規制条項と人権委員会の独立性に関する点に絞って批判し、毎日新聞はメディア規制条項に加えて、人権侵害の定義が曖昧であること、人権委員会の権限が強いことなどを批判、さらに読売新聞は人権擁護委員に国籍条項がないことも批判した。
- ^ このときの第3次小泉改造内閣に入閣した者には、慎重派の安倍晋三・内閣官房長官、推進派の与謝野馨・内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)、二階俊博・経済産業大臣などがいる。
- ^ ただ、人権擁護法案を所管する新任の杉浦正健・法務大臣は、就任会見で「出し方が悪かったという気もするし、中身にも問題がある。出直しというところではないか」と述べ、現行法案では国会提出は困難との認識を示している。
- ^ 「所轄に属する」機関としては内閣総理大臣の所轄に属する公正取引委員会(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律27条2項)があり、「所轄の下に」置かれる機関としては、内閣総理大臣の所轄の下に置かれる人事院(国家公務員法3条1項)、国家公安委員会(警察法4条1項)などがある。
- ^ なお、この場合でも、「当該市町村の議会の議員の選挙権を有する住民」のうちから委嘱されるため、日本国籍を有することは必須となっている(改正法案5条6項、3項)。
出典
- ^ a b c d 人権擁護法案(擁護法案) 経過 と 本文 、第154回国会(常会)閣法56号、衆議院。
- ^ a b 人権侵害による被害の救済及び予防等に関する法律案(経過、本文)、第162回国会(常会)衆法33号、衆議院。
- ^ a b c d e 人権委員会設置法案及び人権擁護委員法の一部を改正する法律案について、法務省人権擁護局、2012年。
- ^ 同和問題の早期解決に向けた今後の方策の基本的な在り方について(意見具申)、地域改善対策協議会、1996年(平成8年)5月17日。地域改善対策室
- ^ 同和問題の早期解決に向けた今後の方策について、1996年(平成8年)7月26日閣議決定。
- ^ 同年、人権擁護施策推進法(平成8年法律第120号)3条に基づいて設置。
- ^ 人権擁護推進審議会会長談話、2001年(平成13年)5月25日。
- ^ 国連人権委員会決議1992年3月3日1992/54附属文書(経済社会理事会公式記録1992年補足No.2(E/1992/22)第Ⅱ部第A節)、総会決議1993年12月20日48/134附属文書。
- ^ 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2005年3月14日). “拉致問題の解決に障害となる「人権擁護法案」に断固反対する緊急声明”. 2010年2月10日閲覧。
- ^ 「人権侵害救済に関する法律」の早期制定を実現するための決議、2004年3月3日、部落解放同盟第61回全国大会決議部落、解放同盟中央本部。
- ^ 『週刊新潮』2006年4月20日号、p.42。
- ^ 2005年7月28日付『朝日新聞』、「(社説)人権擁護法 救済の法律は必要だ」。「(前略)法案では、各市町村で人権擁護委員が委嘱され、相談や調査・救済の実務に当たる。その委員に外国人がなれるのは問題だ、などの意見が急に噴き出した。朝鮮総連や部落解放同盟の名を挙げ、特定の国や団体の影響が強まるのではないかという批判も相次いだ。人権擁護委員から外国人を締め出すため、国籍条項を加えるよう求める声も高まった。だが、心配のしすぎではないか。(後略)」
- ^ 自由同和会とは (PDF)
- ^ 自由同和会 平成28年度運動方針 (PDF)
- ^ “参院代表質問の詳報(6) 民主・神本美恵子氏”. 共同通信社. 47NEWS. (2005年9月29日) 2015年8月21日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 2007年(平成19年)11月23日付、朝日新聞。
- ^ 民主党の政権政策Manifesto2009、民主党。
- ^ 2009年9月30日付『産経新聞』、同年10月16日閲覧。
- ^ 鳩山首相、人権侵害救済法案の早期提出表明 言論統制の危険性も MSN産経ニュース 2010年2月3日閲覧[リンク切れ]
- ^ 新たな人権救済機関の設置に関する中間報告の公表について、2010年(平成22年)6月22日、法務省人権擁護局。
- ^ 法務大臣閣議後記者会見の概要、2010年(平成22年)6月22日、法務省。
- ^ 人権救済法案、臨時国会提出へ=メディア規制盛らず-法相 2011年5月13日 時事通信
- ^ 委員は国会同意人事 人権救済機関の基本方針発表 権限強化の余地も 2011年8月2日 産経新聞 2011年9月1日閲覧
- ^ “同和行政終結へ交流 人権侵害の法案づくり批判 人権連が全国研究集会”. しんぶん赤旗. 日本共産党 (2011年6月28日). 2011年11月3日閲覧。
- ^ “人権救済法案提出に意欲 法相、外国人参政権も賛成”. 産経新聞. (2012年2月22日). オリジナルの2012年3月12日時点におけるアーカイブ。 2012年3月12日閲覧。
- ^ “人権救済機関設置法案、20日閣議決定で調整 民主保守系反発、阻止へ”. MSN産経ニュース. 産経新聞 (2012年4月3日). 2012年4月5日閲覧。
- ^ “民主部門会議、人権救済法案を了承 反対派の意見押し切り”. MSN産経ニュース. 産経新聞 (2012年8月29日). 2012年8月29日閲覧。
- ^ 平成24年9月19日(水)繰下げ閣議案件 首相官邸
- ^ 人権委設置法案の次期国会提出、異例の閣議決定 読売新聞 2012年9月19日
- ^ 衆議院HP 議案 第181国会(臨時会)閣法第7号
- ^ “人権擁護法案に対する理事会決議”. 日本弁護士連合会. (2002年3月15日) 2013年3月22日閲覧。
- ^ “日本ペンクラブから各メディアへの緊急要請書”. 日本ペンクラブ. (2002年3月15日) 2013年3月22日閲覧。
- ^ “「あらためて個人情報保護法案、人権擁護法案の廃案を求む」”. 日本ペンクラブ. (2002年5月9日) 2013年3月22日閲覧。
- ^ 城内実、米田建三「【巻頭特別対談】人権擁護法案の危険性」『月刊BAN(番)』、教育システム、2006年1月、8-15頁。
- ^ “【産経抄】9月1日”. 産経新聞 (産業経済新聞社). (2012年9月1日) 2012年9月20日閲覧。
- ^ “人権侵害救済法案 与党内でも賛否両論のなか閣議決定”. Net-IBニュース (データマックス). (2012年9月20日) 2012年9月20日閲覧。
- ^ “【主張】人権救済法案 強引な閣議決定おかしい(2/2ページ)”. 産経新聞 (産業経済新聞社). (2012年9月20日) 2012年9月20日閲覧。
- ^ “重点政策2012”. 自由民主党. (2012年12月) 2013年3月22日閲覧。
- ^ 自由第 50 巻第 7~12 号 - p60
- ^ 鳥取ループ. “人権擁護法案 - 示現舎”. 2021年5月21日閲覧。
人権擁護法案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 02:12 UTC 版)
人権擁護法案に関し、同法案の成立に反対する議員で結成された議員連盟である「真の人権擁護を考える懇談会」に参加していた。
※この「人権擁護法案」の解説は、「川上義博」の解説の一部です。
「人権擁護法案」を含む「川上義博」の記事については、「川上義博」の概要を参照ください。
人権擁護法案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 15:08 UTC 版)
中川は、2002年(平成14年)に国会に提出された人権擁護法案に一貫して反対していた[要出典]。 同法案は2003年(平成15年)に廃案とされた後にも燻ぶり続け、同じく同法案に強く反対していた安倍晋三が自身の政権下で中川を政調会長に起用したことには、同法の成立阻止という明確な意図もあったとされる。自由民主党は2006年(平成18年)10月、それまで同法案の議論を主導してきた同党・人権問題等調査会の会長職を中川に預け、これによって同調査会は事実上、その機能を停止した[要出典]。 中川は2007年(平成19年)11月、前年の安倍内閣崩壊以降停滞していた保守政治再建のための会合を開き、そこには元農水大臣・島村宜伸や、元経済産業大臣・平沼赳夫らも参加した。この会合で中川は、保守主義の大家であるエドマンド・バークの言説を引用、集団的自衛権の明確化や人権擁護法案反対を強く主張した。この会合は同月、保守の勉強会「真・保守政策研究会」として、会長・中川、最高顧問・平沼、議長・島村という構成で発足した。この会には50名以上の国会議員が参加したが、同法案の上程を懸念する意見が相次いだ[要出典]。 従前より中川は同法案を、「第二の治安維持法」と批判しており、2008年(平成20年)2月16日には、自民党大阪府連の会合にて、法案が成立すれば自身や安倍晋三・麻生太郎が人権侵害の名目で訴えられ、留置場に行くことになりかねないとして、同法案への反対を強調した。同年、人権擁護法案上程阻止のための、「いわゆる "人権擁護法案" 再提出に対する要請受付国民集会」 に出席した中川は、同法案の危険性を改めて指摘、自身に寄せられる国民の声の中に賛成意見はただの1つもない点、また、同法案推進派議員が反対派に対して脅迫とも取れる発言をしていたことを明らかにした[要出典]。
※この「人権擁護法案」の解説は、「中川昭一」の解説の一部です。
「人権擁護法案」を含む「中川昭一」の記事については、「中川昭一」の概要を参照ください。
人権擁護法案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 05:47 UTC 版)
人権擁護法案・人権侵害救済法案に反対しており、人権擁護・人権侵害救済という名の下に国民の表現の自由を過度に監視・管理することによって、ナチス・ドイツ期のゲシュタポのような秘密警察法案のようなものに大化けする可能性があると述べた。日本会議の機関誌「日本の息吹」においては、「人権擁護法案通しますか、それとも日本人やめますか」と書いている。
※この「人権擁護法案」の解説は、「城内実」の解説の一部です。
「人権擁護法案」を含む「城内実」の記事については、「城内実」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 人権擁護法案のページへのリンク