亡命生活 - 共産主義活動とは? わかりやすく解説

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亡命生活 - 共産主義活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:10 UTC 版)

ルネ・ドゥペストル」の記事における「亡命生活 - 共産主義活動」の解説

フランスで脱植民地化運動積極的に関わっていたドゥペストルは何度逮捕され1950年国外追放言い渡された。在仏チェコスロバキア大使画家のアドルフ・ホフマイステル(フランス語版)の取り計らいプラハ逃れることができ、翌51年ブラジルから亡命した作家ジョルジェ・アマード秘書として雇われた。スターリントレーズ称える詩を含み同年発表された『明るさ群生』は、エメ・セゼール序文書いている。8月東ベルリン開催され第3回世界青年学生祭典参加し、ニコラス・ギジェンに再会したユダヤ系の妻エディットイスラエルスパイ容疑チェコ国家保安部逮捕され、まもなく釈放されたが、次いでチトー主義者として逮捕されルドルフ・スラーンスキーらが1952年裁判死刑判決受けたことを批判したために、ドゥペストル夫妻国家保安部アメリカ帝国主義スパイと見なされ、住居から追放された。ドゥペストル夫妻は、ギジェンに勧められプラハ離れミラノジェノヴァ経てキューバ向かったが、フルヘンシオ・バティスタ独裁政権下のキューバ今度ハイチ大使館ソ連のスパイ容疑かけられ逮捕収監された。3週間後にイタリア追放されジェノヴァ着いた夫妻は、非合法フランス入国アラゴンとブロンクールの助力得てフランス思想会館」に受け入れられたが、フランスからもイタリアから滞在許可を得ることができなかったため、しばらく共産党員知り合いアパート非合法滞在したが、再び国外追放言い渡されたため、共産党のつてでオーストリア向かい世界平和評議会仕事引き受けるなどして1か月オーストリア滞在した。いったんプラハ戻ったが、ジョルジェ・アマード大陸文化会議を組織することになりチリ向かったチリではパブロ・ネルーダ秘書務めたチリに7か月滞在した後、ブラジルアマード合流したサンパウロ2年以上にわたってフランス語教え、その傍ら偽名使ってブラジル共産党非合法活動参加したこの頃セゼールとの間でネグリチュードパリ結集したフランス領植民地黒人知識人起こした文学運動)において意見の対立があった。ドゥペストルをはじめとするマルクス主義者ネグリチュードをやや過激な運動考えていたからであり、さらにはフランス語黒人作家の間に起こった国民詩論争においてセゼール対立したからである。これは、アラゴンフランス詩は国民的伝統から生まれるとして「国民詩」を提唱し、ドゥペストルがこれに賛同したに対してセゼール猛反対し、『プレザンス・アフリケーヌ』誌上繰り広げられ論争である。ドゥペストルは、ネグリチュード対す彼の思想的立場を、1980年出版の『ネグリチュードこんにちは、そして、さようなら』で表明している。 1955年末に、ドゥペストルは再びフランス向かったレオポール・セダール・サンゴール尽力により滞在許可下りたからである。ドゥペストルはパリ13区に居を構え詩人ピエール・セゲルス(フランス語版)が設立したセゲルス出版社から詩集『はるか沖合から召喚されて』を出版した1956年9月、『プレザンス・アフリケーヌ』誌主催第1回パン・アフリカ主義黒人作家・芸術家会議出席し奴隷制植民地化経た黒人経験多様性考慮した普遍主義ネグリチュード提唱した。『プレザンス・アフリケーヌ』のほか、全体主義批判展開したエスプリ』、対独レジスタンス運動の国民戦線フランス語版)」により創刊された『レットル・フランセーズフランス文学)』などに寄稿し、『シュルレアリスム歴史』などで知られる文芸批評家モーリス・ナドー(フランス語版)らが創刊した『レットル・ヌーヴェル(フランス語版)』にスターリン主義批判する記事掲載した1957年ポール・マグロワール大統領国外逃亡しフランソワ・デュヴァリエ大統領就任したとき、ドゥペストルはようやくエディットとともにポルトープランスの母のもとに戻ったが、ドゥペストルが所属する人民民主党 (PDP) とアレクシス結成した人民協調党 (PEP) の間に、次期大統領選掲げ革命戦略について意見の対立生じ、『ル・ヌーヴェリスト(フランス語版)』紙上激し論争となったまた、デュヴァリエ大統領から外務省文化担当任命申し出受けた。ドゥペストルは子どもの頃からデュヴァリエ知っており、彼と同じポルトープランススラム街暮らしていたときには医師「パパ・ドク」の治療受けたこともあったが、この申し出断り率直にデュヴァリエ独裁政権批判した。この結果、ドゥペストルは1年わたって自宅軟禁下に置かれることになった

※この「亡命生活 - 共産主義活動」の解説は、「ルネ・ドゥペストル」の解説の一部です。
「亡命生活 - 共産主義活動」を含む「ルネ・ドゥペストル」の記事については、「ルネ・ドゥペストル」の概要を参照ください。

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