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サンパウロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/28 02:00 UTC 版)

サンパウロ市
Cidade de São Paulo
Montagem São Paulo.jpg
São Paulo City flag.svg Brasao SaoPaulo SaoPaulo Brasil.svg
市旗 市章
愛称 : 霧雨の地"、"サンパ
位置
サンパウロの位置の位置図
サンパウロの位置
座標 : 南緯23度32分35.88秒 西経46度37分58.8秒 / 南緯23.5433度 西経46.633度 / -23.5433; -46.633
歴史
創設 1554年1月25日
行政
ブラジルの旗 ブラジル
  サンパウロ州
 市 サンパウロ市
市長 Gilberto Kassab
(DEM)
地理
面積  
  市域 1522.989km2
標高 760m
人口
人口 (2008年現在)
  市域 11,150,249人
    人口密度   7,321人/km2
その他
等時帯 UTC-3
夏時間 UTC-2
公式ウェブサイト : São Paulo

サンパウロSão Pauloブラジルポルトガル語発音:[sɐ̃w̃ ˈpawlu])は、ブラジル南東部に位置するサンパウロ州の首府。

人口は1100万人以上でブラジル最大かつ南半球最大のメガシティである。2010年の近郊を含む都市的地域の人口では2,018万人であり、世界第7位、南半球では第1位である[1]2010年、アメリカの外交専門誌フォーリンポリシーにより、第35位の世界都市に選ばれており[2]、同国ではリオデジャネイロを凌ぎ、第1位である。

略称としてSPS.Pauloと表記される(「SP」は「サンパウロ州」の略称でもある)。住人の呼称は「パウリスターノ (paulistano)」、女性形は「パウリスターナ (paulistana)」。

目次

概要

市街地には高層ビルが、郊外には多くの工場が立ち並ぶ大都会で、ブラジルのみならず南米の経済、文化の中心地の一つである。平均収入もブラジルで最も高く、2009年には個人所有のヘリコプターヘリポートの数が世界一になった。

イタリア系やポルトガル系、スペイン系、ドイツ系、シリア系、レバノン系、ユダヤ系、日系の人口が特に多い他、最近では韓国などのアジア諸国からの移民が増えている。内陸に位置するため、南方60kmの位置に在るサントスを外港とする。

なお、「サンパウロ(Sao Paulo)」は、ポルトガル語キリスト教における聖人の1人である「聖パウロ」の意味。漢字では、「聖市」と表記される。

データ

  • 創設:1554年1月25日
  • 人口:11,150,249人(2008年)
  • 市長:Gilberto Kassab

歴史

サンパウロ大聖堂

サンパウロの起源はインディオに対する布教のためポルトガル王ドン・ジョアン3世(在位1521年1557年)の依頼で派遣されたイエズス会宣教師団の一人ジョゼ・デ・アンシエタ (José de Anchieta) が1554年にとして創設した宣教村である。その後人口はゆっくりと増大し、1565年にはサンパウロ市が創設された。しかしサンパウロは内陸に位置し、本国ポルトガルとの連絡に不便であったため、当時のブラジル開発の主力産業であったサトウキビ農園なども立地せず、開発が遅れていた。


サンパウロが成長をはじめるのは17世紀中頃に奥地探検隊バンデイランテス(Bandeirantes) の根拠地となってからである。バンデイランテスはサンパウロの奥地に建設されつつあったイエズス会の教化集落を襲撃し、住民であるインディオ奴隷として海岸部のサトウキビ農園へと売却して行ったが、その過程で奥地の開発が進められ、拠点としてサンパウロの重要性は徐々に上昇していった。また、イエズス会はスペインの支援を受けていたが、バンデイランテスによって撤退を余儀なくされ、その土地にバンデイランテスが進出することによってポルトガルの勢力圏がトルデシリャス条約線を大きく越えて西へ伸びるきっかけとなった。その後もバンデイランテスの活動は続き、1693年には現在のミナスジェライス州で金鉱を発見し、これがブラジルの発展のきっかけとなった。しかし、金を求めてやってきた山師(靴を履き脛あてをしている姿から、サンパウロ人からは足が羽毛に覆われている鳥にたとえエンボアーバと呼ばれた)たちと、金鉱を発見したサンパウロ市民との対立は悪化し、1708年にはエンボアーバ戦争が勃発。サンパウロは敗れ、ミナスジェライス地方の開発権を失った。しかし、サンパウロの開発方向は西へと向かい、ゴイアス州マトグロッソ州方面の開発拠点となっていった。1711年には正式に市に昇格した。

1800年ごろにはサンパウロは国内でも大きな都市となっていたものの、この時期のサンパウロは未だ一地方都市に過ぎず、首都リオデジャネイロとは比べ物にならない小さな都市であった。この状況が一変するのは、1830年ごろにサンパウロ州内でのコーヒー栽培が始まってからである。当初リオデジャネイロ周辺で行われていたコーヒー栽培が、地力の消耗などにより衰退し、適地を求めたコーヒー農家がサンパウロ州北部や西部に入植し、コーヒー栽培を開始した。サンパウロの気候と土地にコーヒーは大変適しており、折からの産業革命によってヨーロッパでコーヒーの需要が爆発的に増加したことを受け、サンパウロはコーヒーの集散地として急速に発展を遂げた。1867年にはサンパウロと外港サントスとの間に鉄道が開通し、コーヒー経済はさらに拡大していった。1872年にはサンパウロの人口は26000人であったが、1920年には58万人まで増加した。

コーヒーブームに沸くサンパウロでは、しかし労働力が不足していた。奴隷制は未だ存続していたものの国内から厳しい批判に晒されていたし、奴隷労働は生産性が低く収益向上の足かせとなっていた。そこで他国からの移民の導入が検討され、1881年にはイタリアなどから移民が始まった。移民は船が着くサントスから列車でサンパウロまで移動し、ここで各地の農場へと割り振られていった。移民の中にはこの街にとどまるものもおり、また農場へ入植した者たちもいくらかはふたたびサンパウロへと移住してきた。こうして、サンパウロは移民が世界中から集まる街となり、国際化が進んだ。

1889年に奴隷解放からブラジル帝国が崩壊すると、新しく成立した政府は地方分権的なものとなり、各州中で最も経済的に有力なサンパウロ州の発言権は非常に増大した。1894年にはサンパウロ出身のプルデンテ・デ・モライス大統領が就任し、この年から1930年まで、サンパウロ州とミナスジェライス州が交互に大統領を出す「カフェ・コン・レイテ」期が続く。これにより政治力をも得たサンパウロの経済はさらに発展していった。1908年には、最初の日本からの正式移民が笠戸丸サントス港に到着する。日本人移民はサンパウロ州を中心に定着し、やがてサンパウロに日本人街を形成した。

カフェ・コン・レイテ期は1930年のジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス政権成立によって崩壊するが、それを不満としたサンパウロは1932年に護憲革命を起こしたものの、サンパウロ以外の諸州の賛同を得られず失敗した。この時期には世界恐慌の影響によりコーヒー価格も暴落し、コーヒー・ブームは終息したものの、開発路線をとるヴァルガス政権以後歴代の政府によって経済開発がおこなわれ、ブラジル最大の産業都市としてのサンパウロの地位は揺らがなかった。1960年には首都リオデジャネイロの人口を超え、ブラジル最大の都市となった。1974年には地下鉄1号線が開通し、1985年にはグアルーリョス国際空港が開港した。


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