中国学
中国学
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「アタナシウス・キルヒャー」の記事における「中国学」の解説
アタナシウス・キルヒャーはヨーロッパにおける中国研究の第一人者でもある。1629年には長上に宣教師として中国に行きたいという希望を出している。中国に行くことができなかったため、ヨハン・グリューバーら中国に赴いたイエズス会宣教師たちの報告や研究所を徹底的に読み込んで分析した。彼の記した『チナ・モヌメンティス』(『中国図説』)は中国地図を含む本格的な中国事典であるが、事実と想像の部分がごちゃ混ぜになっている。たとえばキリスト教と中国の関係を記す中で、古代のネストリウス派が中国に流入していたというのは正しいが、中国人が旧約聖書のハムの子孫であるとか、漢字はヒエログリフが崩れたものであるとか、孔子はモーセ(ヘルメス・トリスメギストス)のことであるというような主張は完全に誤ったものであった。 著作の中でアタナシウスは、表意文字はヒエログリフに劣ると考えている。なぜなら彼が漢字は特定の概念しか表さないが、ヒエログリフはさまざまな複雑な概念を表現していると考えたからである。さらにマヤやアステカの文字は絵文字であって物体しか表すことができないため、漢字よりも劣るとしている。ウンベルト・エーコはこのようなアタナシウスの考え方を当時のヨーロッパ人の中国人観およびアメリカの先住民観を反映しているとみた。つまり中国人というのはアメリカの先住民のように征服してもかまわない野蛮人ではなく、ヨーロッパ文明の本流から離れてしまってはいるが、依然として高度な文明を持ち、ヨーロッパへと回帰する可能性のある民族だという考え方である。
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「エーリヒ・ヘーニシュ」の記事における「中国学」の解説
ライプツィヒ時代に中国語の文語(漢文)の教科書を書いている。 Grammatische Bemerkungen zur chinesischen Literatursprache. Leipzig. (1928) (中国語文語の文法に関する覚え書き) Lehrgang der chinesischen Schriftsprache. Leipzig. (1929-1933) (全3冊、中国語文語講座) また、1911年以来清朝以降の中国植民地(チベット・モンゴル・満州・新疆)政策に関する著作を多く残している。
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