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ないとう-こなん 【内藤湖南】
近代日本人の肖像 |
内藤湖南 ないとう こなん
秋田生まれ。歴史学者。県立秋田師範学校卒業。上京後、『日本人』、大阪朝日新聞等の編集・論説で活躍。一方で中国研究に関しても造詣を深める。明治40年(1907)から京都帝国大学史学科で東洋史を担当。42年(1909)教授。大正15年(1926)定年退官。帝国学士院会員。その研究は幅広い領域にわたり、時代区分論、古代史、清朝史等の中国史のみならず、日本史にも業績を残す。
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内藤湖南
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/21 12:25 UTC 版)
内藤 湖南(ないとう こなん、1866年8月27日(慶応2年7月18日)[1] - 1934年(昭和9年)6月26日)は日本の東洋史学者。名は虎次郎。字は炳卿(へいけい)。湖南は号。別号に黒頭尊者。白鳥庫吉と共に戦前を代表する東洋学者であり、戦前の邪馬台国論争、中国に於ける時代区分論争などで学会を二分した。
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