三河松平氏が世良田氏後裔を称した経緯とは? わかりやすく解説

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三河松平氏が世良田氏後裔を称した経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 02:25 UTC 版)

世良田氏」の記事における「三河松平氏が世良田氏後裔を称した経緯」の解説

三河国戦国大名松平氏は、松平清康のとき清和源氏世良田氏後裔称するようになった清康三河支配層である守護足利吉良氏への対立軸として、自身新田源氏名門繋げるために、三河松平郷没した政親(政義の子、親季の弟)の存在着目したという[要出典]。さらに政親の祖先である世良田頼氏三河守三河支配者先祖として、着眼した清康自身安祥松平家世襲通称次郎三郎」を用い、「世良田次郎三郎清康」と称したという。 清康の孫の松平家康初め清康からの流れとして世良田氏称していたが、1566年三河統一のため三河守任官望んだ際、「世良田氏三河守叙任前例はない」と拒否された。そこで家康近衛前久相談した近衛前久松平氏の祖とされる世良田義季得川氏名乗った文献があること、また新田得川氏藤原姓名乗ったことがあることなどを突き止め[要出典]、家康個人のみが「徳川」に「復姓」(事実上改姓)するという特例措置を得、従五位下三河守叙任された。 豊臣秀吉政権傘下入ったころから、再び新田源氏復姓していたようである。その頃安房里見氏新田一族)に送った書状では、徳川氏里見氏新田一族同族関係にあることを主張している。1590年関東移封された前後には、新田一族に繋がる岩松氏末裔召し出して新田氏系譜尋ねている事項記録にある。 この過程家康整理させた徳川氏系譜では、松平氏の祖は、親季(政親の兄)の遺児とする有親(長阿弥ということにされている。 その伝承によると、親季の戦死後その子の有親も南朝方として戦った信濃戦死したとも言う)。有親の子世良田親氏北朝方の追捕逃れて時宗の僧となって徳阿弥称し流浪した。やがて三河国流れつき、加茂郡松平郷領主 松平信重左衛門少尉)の娘婿になり、還俗して松平氏名跡継ぎ松平親氏(松平太郎左衛門親氏)と名乗ったとする。 また、徳川七代将軍家継も幼少時世良田称している。

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