三河木材電気部時代
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1919年(大正8年)2月4日、田口町大字田口字上原に資本金50万円で林業・製材業その他を目的とする「東三木材株式会社」が設立された。同社は同年4月「三河木材株式会社」へと社名を変更。さらに8月15日付で田口電灯合名会社を合併した。合併により旧田口電灯の事業は三河木材電気部の所管となっている。三河木材の役員はすべて田口町内の人物で、関谷守男が社長を務めた。 供給区域のうち名倉村については、開業当初は発電所が立地する大名倉地区に供給するだけであったが、1919年より東納庫地区、翌1920年(大正9年)より西納庫地区にも道路沿いの集落を手始めに順次配電していった。また南部では1922年(大正11年)より北設楽郡段嶺村でも供給を開始した。ただし範囲は狭く、田口町に接する田内地区と田峯地区の一部(梨野・程野集落)に限られる。 名古屋逓信局の資料によると、三河木材時代末期の1923年末時点では南設楽郡鳳来寺村(現・新城市)の大部分も未開業ながら供給区域に入っているほか、発電所出力は80キロワットになっている。
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