三島家
三島家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 10:01 UTC 版)
「いだてん〜東京オリムピック噺〜」の記事における「三島家」の解説
元薩摩士族で大隈重信や乃木希典など政財界の実力者との交流を持つ資産家一家。 三島弥彦(みしま やひこ) 演:生田斗真 三島子爵家の御曹司。帝国大学の学生。天狗倶楽部のメンバー。 スポーツ万能で、雑誌『冒険世界』の企画では痛快男子十傑に選ばれた運動会の覇王。女性ファンも数多く存在する。しかし家族にはスポーツに対する情熱を理解してもらえず、卒業学年であることや家族のことを気にしてオリンピックの予選大会では審判を務める。しかし気持ちを抑えきれなくなり飛び入りで競技に参加して優勝し、日本人初のオリンピック短距離走の代表選手に選ばれる。 家族にはストックホルムへの出発をギリギリまで伝えずにいたが、和歌子から手作りのユニフォームを受け取り、弥太郎らに見送られながら旅立つ。 ストックホルム到着直後は、外国人との体格差や世界記録を持つ四三へのコンプレックス、コーチや仲間不在同然の孤独な練習から宿舎の窓から飛び降りようとする程に気鬱になるが、四三の叱咤により正気を取り戻し練習に励む。男子100メートル走予選では兵蔵からのアドバイスにより、自身のタイムに挑むという心構えを体得。結果は最下位だったものの、自己最高記録をマークする。続く200メートル予選でも惨敗し、400メートル予選では他の選手の棄権により準決勝進出が確実になったにも関わらず全力でこれを走り切り、準決勝を棄権。外国人との実力の差を痛感しながらも最後までスポーツを楽しんで競技を終える。 大正2年1月、ヨーロッパ視察と語学勉強を経て帰国。そこで天狗倶楽部解散の動きや野球害毒論を知り、憤慨する。横浜正金銀行のサンフランシスコ支店に行き、アメリカがスポーツに強い理由を見極めることを決意する。 1920年にはアントワープ五輪日本選手団を訪問、ストックホルム五輪からの進歩に感慨を覚えながら彼らにエールを送る。関東大震災後の復興大運動会にも姿を見せ、四三や野口らオリンピック出場選手で徒競走を行い、一着でゴールする。昭和29年(1954年)、67歳で死去。 三島弥太郎(みしま やたろう) 演:小澤征悦 弥彦の長兄。横浜正金銀行頭取。 スポーツに熱中する弟に手を焼いており、スポーツそのものを嫌悪している。そのため嘉納治五郎や弥彦からオリンピックに関する融資を持ちかけられた際はこれを拒否している。だが、弥彦がストックホルムに出立する際には見送りに出向き、また弥彦から沈鬱した内容の手紙が届いた際には心配する素振りを見せている。 三島和歌子(みしま わかこ) 演:白石加代子 弥彦の母。鹿児島県出身で、女西郷と呼ばれる女傑。仕込み刀の杖を持ち歩く。 当時人気を博した新聞小説『不如帰』では、登場人物である冷酷な姑のモデルとされた。字が読めないためかその内容を知らず、活動写真化された同作を見て初めて描かれ方を知り激怒。またこれ以上あらぬ醜聞を広げぬため、オリンピック予選会への弥彦の出場に反対する。弥彦がオリンピック代表選手内定後も反対し続け、テーブルマナーを学びに来た四三や可児にも冷淡な態度を示すが、弥彦がストックホルムへ旅立つ際には自らが日の丸を縫い付けたユニフォームを手渡し、涙ながらに応援し見送る。
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三島家
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「悪魔が来りて笛を吹く」の記事における「三島家」の解説
三島省吾(みしま しょうご) 本物の三島東太郎の父親。椿英輔の旧友。1942年(昭和17年)頃、岡山県立第×中学の教頭を務めたことがあった。1943年(昭和18年)、脳出血により死亡。 三島勝子(みしま かつこ) 三島省吾の妻。本物の東太郎の母親。1944年(昭和19年)、岡山市大空襲の際に死亡。
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