三千院円融蔵典籍文書類
主名称: | 三千院円融蔵典籍文書類 |
指定番号: | 2437 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1988.06.06(昭和63.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | |
員数: | 3021点 |
時代区分: | 平安~江戸 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 京都大原の三千院の経蔵円融蔵に伝来する聖教類以下の典籍・文書類を一括したものである。 三千院は最澄が比叡山に仮屋を建てたのが始まりといわれ、円融房と号し、その房舎はしばしば移ったが、平安時代後期以来、代々法親王が継承する宮門跡として梶井宮と呼ばれ、妙法院、青蓮院とならび天台三門跡として天台座主を順次輩出した。また歴代門跡は御懺法講の導師を勤めたため、声明の道場である大原十余ケ寺を統管した。 三千院の経蔵の円融蔵に現在収める典籍・文書類は三〇二一点であるが、これは大別して、八箱の聖教箱に収める二五二九点の聖教類と、その他の箱に収める明治三十年(一八九七)に東京の梨本宮より還付された四九二点とからなる。八箱の聖教箱は、さらにそれぞれ四~六箱の内箱(計三八箱)に分けられ、内箱にはそれぞれ照、領など二三文字の符号が付され、日吉関係、山門関係などに分類整理されている。これらのうち、三千院門跡が大原を統管したことから声明に関するものが多数まとまっているのは大きな特徴で、鎌倉時代中・後期に活躍した円珠房喜淵の筆になるものが『音律事〈愚抄/〉』など二〇点余り存するのをはじめ、鎌倉・南北朝時代の古写本も多い。また御懺法講に関する記録・文書も多く、花園天皇宸翰の楽目録など注目されるものが多い。その他、歴代門跡が代々天台座主となったことから山門に関する記録類等も多く伝えられている。 梨本宮より還付された典籍・文書類はさらに多様な内容からなり、平安時代の書写になる聖教類など八箱の聖教箱のものと密接な関係にあるもののほか、平安時代以来の諷誦文等を集めた『拾珠抄』、室町時代前期の書写になる『書札礼事』、和歌・連歌など文学関係資料など歴代門跡の学問・教養を示す資料があって注目される。 |
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